【将棋】「将棋世界2015年8月号/創造の原動力[中編]」藤井猛さん【邦画】「日本のいちばん長い日」(1967)

2015年08月25日

【医学/人生訓】「『思考の老化』をどう防ぐか」和田秀樹さん

P259
あとがき

現代の日本は「知識社会」であるとともに、「成熟社会」だとも言われている。

この成熟という言葉は勘違いされやすく、「成熟」と思われていることが実は単なる「老化」だった、ということがときどき起こる。

本来、生物学的な意味での成熟とは、生殖に向けて機能が整っていくことだし、心理学の世界で言う「認知的成熟」とは、自分とは別の考え方やグレーゾーンを認められるようになることで、いわば右肩上がりに進歩していくイメージの言葉である。

一方、老化とは、さまざまな機能が衰えていくことだ。

この二つの勘違いとはたとえば「自分の主張をしなくなった」「悟ったような発言が増えた」という中高年に対して、しばしば「成熟した大人の対応だ」「老成だ」などと評価されることである。

果たしてそれが「認知的成熟」なのか「老化」なのかを峻別しなくてはいけない。

ときとして微妙な両者の違いは決めつけて言っているか否かである。

たとえば、和田みつをさんの「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」のような人生に対して悟ったような言葉でも、それが「決めつけ」になっているとしたら思考が老化していることになる。

他にも、世の中でいかにも成熟と受け取られがちなことが、実は老化であることがたいへん多く、このことにも警鐘を鳴らしておきたい。

その最大の要因となるのが、本書で一貫して述べてきた「前頭葉の老化」である。

この二十一世紀は、言うまでもなく前頭葉が若々しい人間こそが主役である。

知識社会がますます発達して「かつて世の中になかった新しい物、サービス」がほとんど唯一の成長産業になった今、旧来型の「言われたことだけを真面目にこなしていればいい」という人間は、ビジネスの世界ではどんどん居場所がなくなっている。

しかもまずいことに、前頭葉をあまり使ってこなかった人ほど、自分の周りの変化に気づくのが遅れがちで、しかも自らが変わっていくのも苦手なのだ

だが、それでも思考が老化しきってさえいなければ、生活習慣や思考習慣を変えていくことで、自己変革も思考の老化防止もまだ間に合うはずである

ビジネス社会での生き残りのため、外見や身体のアンチエイジング以上に、思考の老化を予防していただきたいと思う。

私は誤解の多い人生を送っている人種(笑)だが、近年多いパターンは、ネットメディアで見知った後に実際に私にお会いくださり、「思っていたより全然ざっくばらんで面白い人ですね」など、ネットとリアルの人格イメージギャップに因るそれだ。
たしかに、私はブログにしても、ツイッターにしても「悟ったような」、ある意味、哲学的な発言が多い反面、実際に面と向かってする会話が、全然哲学的でないどころか、基本下世話な発言に終始するため(笑)、私に対する初対面氏のイメージは正に想定の範囲を超えるようだ。(笑)

よく訊かれるので断っておくと、ネットの私も実際の私も本当の私であり、いずれも偽りではない。
では、なぜネットの私は悟ったような発言が多いのか。
自覚している理由は二つある。

一つは、そもそも先ず、下世話な発言を控えているからだ。
私は、ネットメディアにアクセスする主眼を、「情報の収集」と「知見の共有(シェア)」と考えている。
アクセスには相当のリソース(手間暇)が要るのを痛感しているため、主眼の妨げになる下世話な発言を自制しており、結果的に、下世話でない、尤もらしく、悟ったような内容に発言が集中してしまう、という訳だ。

もう一つは、抱いた問題意識と最善解をできる限り言語化(→客観化)、アーカイブ化するよう努めているからだ。
将来、同様の問題に遭遇した時に活用できるよう、それらをとりわけ人間の心理、思考習性にフォーカスして抽象化、普遍化していくと、いかんせん悟ったような発言が多くなってしまう、という訳だ。

なぜ、問題意識と最善解の言語化、アーカイブ化をする際、人間の心理、思考習性にフォーカスを当てるのか。
これは、ここ10年でとりわけ努めるようになったことだが、ひと言で言えば、「さもなくば、問題が真に解決しない(→成功が持続的に果たせない)」と、生業の経営コンサルティングを行う中で痛感、達観したからだ。

正直、約10年前以前の私は、人間の心理や思考習性の類に余り興味が無かった。
理由は簡単で、ひと言「ややこしい」から(苦笑)だったが、そもそも自分という人間が、意識した問題とその合理的な解に良くも悪くも従順な人間だったことが大きい。
だから、たとえば、「痩せたい!」と年がら年中吹聴していながら、とんかつやラーメン二郎(笑)を絶やさない人、折角スポーツジムに入会したのに幽霊or風呂会員に成ってしまう人、折角大枚払ってロードバイクをゲットしたのに部屋のオブジェにしてしまう人、がどうにも分からなかった。
また、生業においても、いついつまでに固定費を減らさなければ、手元のキャッシュが底をつくとエクセルに教わってもらいながら、整理解雇の着手を躊躇う経営者が、どうにも分からなかった。
しかし、当時私は、ようやく気づいた。
私のような人間はレアだ、と。
普通の人は、植木等の「分かっちゃいるけど止められない」を地で行くのが自然なばかりか、それは善悪を超えた、人間という生き物の生来の心理、思考習性の帰趨だ、と。
そして、私は、抱いた問題意識と最善解を、紙の代わりにネットで手軽に言語化、アーカイブ化する際、人間の心理、思考習性にとりわけフォーカスを当てるようになった。





かくして、私のネットメディアでの発言は悟ったような、哲学的なそれが多くなっている訳だが、たしかに、著者の和田秀樹さんが仰るように、それが経験値を高めての「成熟」ではなく、「決めつけ」を旨とする「老化」の現れである可能性がゼロとは言い切れないし、正直、思い当たる所がゼロではない。
この世の困難の最たるは「自分を正視、客観視すること」であり、自分を一番分かっていないのは自分自身だ。
和田さんは本書で繰り返し懐疑思考の意義と励行を唱えてくださっていたが、私たちが懐疑すべき一番の矛先は自分自身に違いない。







kimio_memo at 09:15│Comments(0)TrackBack(0) 書籍 

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