【洋画】「ターミネーター3/Terminator 3: Rise of the Machines, T3」(2003)【邦画】「日本の黒い夏 [冤enzai罪] 」(2001)

2015年08月14日

【商品開発/経営】「コンテンツの秘密 ぼくがジブリで考えたこと」川上量生さん

P215
天才とはなにか

クリエイターは過去の経験から生まれるパターンを組み合わせてコンテンツをつくっているだけ。そうすると天才クリエイターとはいったいどんな人だと考えればいいでしょうか。たくさんのパターンを知っている人、ということになるのでしょうか。

これについてぼくは、”天才”宮﨑駿を父に持つ宮崎吾朗監督のコメントが、きわめて的確に天才の定義を表していると思っています。

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米国ではどのようにコンテンツをつくっているのか、吾郎監督といっしょに見学したときの話です。先に話したように、米国ではコンテンツをつくるときにはプロトタイプをいっぺん全部つくってしまうのです。つくってしまってからみんなで寄ってたかってここが悪い、ここをこうしたほうがおもしろいと話し合うのです。

お金も時間もかかるので、とても日本ではできないやり方です。

しかし、実物を見ながら議論できるので、そのほうがクオリティは上げやすいこのやり方について吾郎さんがこんなコメントをしたのです。

このやり方だと天才が要らない

実際にプロトタイプをつくってしまうことで、天才がいなくても素晴らしい作品がつくれると指摘したのです。

「逆にいうと、日本が対抗できる方法がひとつだけあって、天才がいればいい。宮﨑駿がいればいい」

そう、吾郎さんは言い切ったのですつまり、実際にできあがったものを見てああだこうだと言うのは天才でなくてもできることです。天才は実際につくらなくても脳の中でシミュレーションできるというのです。

たぶん、実際にプロトタイプをつくるのに比べて、天才が脳のなかでシミュレーションするほうが、精度は落ちるだろうけど安上がりだ。日本が対抗するにはそれしかないというのです。

「天才は安物のシミュレーターですか。ひどい表現ですね」

ぼくは思わずおかしくなったのですが、本当にそのとおりだと思ったのです。

「でも日本みたいな貧しい国は、天才を使って対応するしか戦う方法がない」

そんな会話を吾郎さんとしたのですが、これは天才とはなにかという定義になっていると思います。

天才とは自分のヴィジョンを実現してコンテンツをつくるときに、どんなものが実際にできるのかをシミュレーションする能力を持っている人である。これが吾郎さんとの会話をふまえて、ぼくが得た天才の定義です。

「天才」と「頭が良い人」は同義ではないが、前者が「成果物のひとり脳内シミュレーション」を得意にしていることと、後者が「見ている所が違う」ことは、期待成果へのアプローチが、凡人と根本的かつ習慣的に違っている、つまり、非常識である、という点で通底しており、大いに頷ける。
やはり、非常識な成果は非常識な思考習性の恵みなのだ。

もう一つ頷けたのは、アメリカの、それも多分にハリウッドのコンテンツビジネスが持続的に成功している道理だ。
なぜ彼らは成果物を作る前、高コストを惜しまず(=必要コスト&投資回収可能コストと解釈し)プロトタイプを作るのか。

主因の一つは、そうすることで、宮﨑駿さんの様な「成果物のひとり脳内シミュレーション」を得意&習慣にする天才が、子息の吾郎さんの仰るよう、必要でなくなり、成果物の品質担保とトータルコストの低減が同時達成し易くなるからだろう。
やはり、企業の存在意義の最たるは、凡人が寄ってたかって幸福に成れる、「天才不要論」の実現可能手段なのだ。

そしてもう一つは、一つ目と一見矛盾するが、そうすることで、多様な天才を集めたチーム作りが可能となり、成果物の品質向上とトータルコスト、それもとりわけ異思考コミュニケーションコスト、の抑制が同時達成し易くなるからだろう。
やはり、ビジネスの持続的な成功の要件は、一天才の属人性と一本足打法の非依存なのだ。







kimio_memo at 07:16│Comments(0)TrackBack(0) 書籍 

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