【洋画】「7つの贈り物/Seven Pounds」(2008)【邦画】「へルタースケルター」(2012)

2013年09月04日

【野球】「天才なのに消える人 凡才だけど生き残る人」小宮山悟さん

P20
そんななかで、「どこがすごいのか」と考えてみました。

簡単に言えば、ダルビッシュ投手はほかのピッチャーができないことができる。つまり、普通の選手が必死に努力してようやく手に入れられる技術や動きを、ほとんど苦労することなく、すでに身につけています。
これを才能、天分と言うのでしょう。

誰かに与えられたものや、苦労せずに手に入れたものに関して、人間は大事にしない傾向があります。それを手に入れることがどれほど難しいか、取り戻すことが困難なのかがわからないからです。

なぜほかの人ができないのがわからない、ということでもあります。

ダルビッシュ投手は確実に天才です。

しかし、彼のすごいところはその先です。普通の天才(おかしな表現ですが)ではありません。

「自分がなぜできているのかわからない」ままプレイする「天才」が多いなかで、ダルビッシュ投手は日々、「ほかの人ができない理由」を追求しているのです。そうすることで「自分ができる理由」に辿りつく。

しかも、ほかの人が「必死に努力して手に入れる」というアプローチなのに対して、彼の場合は「遊びながら」「楽しみながら」自身をバージョンアップさせています。すべてにおいて次元が違います。

「ダルビッシュ投手が野球人として世界的に成功を収めているのは、高次の天分に恵まれた天才であることに加え、持ち前の天分の中身とその根拠(ロジック)を非天才との比較考察で合理的に自覚、活用、強化しているのが大きい」。
この小宮山さんの「ダルビッシュ論」は成る程だが、天分に全く恵まれない人はこの世に存在しない為、小宮山さんのこのお考えは私たち凡人にも有用に違いない。
「自分が普通にでき、他の多くの人ができないことはないか」。
「なぜ、他の多くの人は、自分がかくも普通にできることができないのか(→なぜ、自分は、これがかくも普通にできるのか)」。
私たちは今日からこれらを絶えず自問自答し、「自分が普通にできること」、即ち、「独自の強み」を合理的に自覚、活用、強化すべきだ。


P55
バッティングピッチャーは、基本的に、バッターに気持ちよく打たせるのが仕事なので、打ち取ろうと思って投げるときほどには疲れません。楽にストライクゾーンに投げられたので重宝がれらたのです。

レギュラー練習が終わったら、下級生中心の新人練習が始まります。そこでもまたバッティングピッチャーをやらされ、投げているとき以外は、ずっと走らされました。

通常の練習を2セットやっているようなもの。レギュラー練習で投げて、新人練習で投げて、真っ暗になるまで走らされて・・・そんなことの繰り返しで、体力は高校生のとき以上になりました。

一日600球は投げさせられましたが、肩を痛めることはありませんでした。手を抜いていてもそう見えないような投げ方をして、それでもそこそこ強い球を投げることができたからだと思います。

これは生き残るために必要なテクニックです。幸運なことに、私にはそれが備わっていました。

「死ぬほど投げる」ことは、ムダのないフォームをつくる近道だったのかもしれません。一日何百球も投げたからといって必ずしもピッチングが上達するわけではありません。むしろ、故障の原因になる場合が多い。

しかし、一日600球以上投げたことで、ムダのないフォームが身についたのです。

バッティングピッチャーとしてボールを投げ続けることで、驚くほど体力がつきました。バッティングピッチャーは、途中でやめることができず、「代われ」と言われるまで投げます。

3球ボールが続けば「しっかり放れよ」となじられる状態なので、気を抜かず真剣に投げなければなりません。疲れは相当あったのですが、ちょっとずつ乗り越えていったのです。

小宮山さんのこの体験談は、「千里の道も先ず一歩から、それも、『質』を追う一歩ではなく、『量』を追う一歩から」ということだろう。
死ぬほどの量を、気は終始抜かずに、手をうまく抜いてやり切って初めて、「量」は「質」に昇華する






kimio_memo at 06:49│Comments(0)TrackBack(0) 書籍 

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