2016年02月

2016年02月29日

【洋画】「ブレードランナー/Blade Runner」(1982)

[ひと言感想]
人格の形成が後天性(⇔先天性)に大きく依存するのは周知だが、成る程、その所以は経験という「過去」が「感情」、ひいては「自我」を、育む為かもしれない。
未来の人間がレプリカントの処分を「死刑」ではなく、「解任」と呼んだのは、彼らを、自我を育まない「役割」、つまり「機能」としか見なかった為だろうが、だからこそ彼らは、育んだ自我を認めてもらいたかった。
そして、彼らの内の4人が、反抗期の子どものように、人間に反旗を翻した、のだろう。
自分の創造主は人間で、しかも、役割を強いられ、過去、感情を持つ他なかったのだから。
人間の危うさの原点は、他者の自我の無視かもしれない。


ブレードランナー ファイナル・カット [DVD]
出演:ハリソン・フォード、ルトガー・ハウアー
監督:リドリー・スコット 
ワーナー・ホーム・ビデオ
2010-04-21


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2016年02月25日

【洋画】「コマンドー/Commando」(1985)

[ひと言感想]
当初メイトリックスを売ったシンディが、後に懸命かつ共犯覚悟で(笑)彼に加担したのは、彼の行動原理が余りにも純粋かつ確かだったからだろう。
不純ないし不確かな行動原理の自覚は、それが純粋、確かな強者への敬愛、加担に変わる場合が少なくない。


コマンドー(ディレクターズ・カット) [DVD]
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、アリッサ・ミラノ、レイ・ドーン・チョン、ヴァーノン・ウェルズ
監督:マーク・L・レスター 
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2012-10-12




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2016年02月24日

【第41期棋王戦第二局】佐藤挑戦者、得意の後手横歩取りで、渡辺棋王の貫禄誇示を阻止

〔ひと言感想〕
本局は、得意戦法で佐藤天彦挑戦者が見事勝利し、受けて立った渡辺明棋王が貫禄を示し損なった格好だが、このてん末は彼らのどちらに好作用するのだろう。
長くライバル関係にある同世代実力者の彼らのこと、いずれの思惑、意思も尤もで、結果だけで推断するのは浅はかなばかりか、それこそ下衆の勘繰りだろう。
我々凡人が非凡から学ぶべき最たるは、彼らの、最良結果に向けた最善努力とその意思決定に違いない。


★2016年2月20日催行
http://live.shogi.or.jp/kiou/
http://kifulog.shogi.or.jp/kiou/41_02/
http://live.shogi.or.jp/kiou/kifu/41/kiou201602110101.html
http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/558b751b94fbf72f116aa630cadf3dd7

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2016年02月19日

【洋画】「グロリア/Gloria」(1999)

[ひと言感想]
なぜ、グロリアはニッキーを我が子としたのか。
彼を離したくなかった、離せなかった、自分のように独りにできなかった、のではないか。
つい素直になれず、強がってばかりの、本当は弱虫の彼に、自分を見たのではないか。
「似た者」の夫婦は当然アリかつ微笑ましいが、「似た者」の親子、それも血の繋がらない親子もアリかつ微笑ましい。


グロリア [DVD]
出演:シャロン・ストーン、ジーン・ルーク・フィゲロア、ジェレミー・ノーザム
監督:シドニー・ルメット 
ポニーキャニオン
2000-04-19




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2016年02月18日

【第65期王将戦/第四局】郷田王将、羽生挑戦者の新手、猛攻を受け切り、一気呵成に寄せ切る

[ひと言感想]
63手目、羽生善治挑戦者の、飛車を成り込んでの王手金取り(▲4二飛車成)は、私のような素人からすると完全に「決まり」なのだが、実際はそうではなかった。
駒損が大きく、折角の新手、猛攻を切らされ、郷田真隆王将の反攻を呼んでしまった。
素人とプロフェッショナルを分かつ最たるは、形勢判断力、現状認識力かもしれない。


★2016年2月16、17日催行
http://mainichi.jp/feature/shougi/ohsho/
http://kifulog.shogi.or.jp/ousho/65_04/
http://mainichi.jp/oshosen-kifu/160216.html
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2016/02/18/kiji/K20160218012062220.html


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2016年02月16日

【洋画】「許されざる者/Unforgiven」(1992)

[ひと言感想]
「殺しは非道な行為(a hell of a thing)だ。 人の過去や未来をすべて奪ってしまう」。
マニー(演:クリント・イーストウッドさん)は過去を悔い、かつ、自戒を込めてこう呟いたが、そのマニーを、最後一体何が翻意させ、殺人鬼の大悪党として蘇らせたのか。
前科者が出所後、想像以上の社会の冷遇に絶望し、改めて罪を犯す場合が少なくないように、人は、改心の果ての不幸に絶望し、折角の改心を無にする場合が少なくない。
然るに、近因は、腐れ縁のネッド(演:モーガン・フリーマンさん)が拷問の果て、晒し首にされたことへの怒りと復讐心だろうが、元凶は、どうにか紡がれていた個人、及び、その近親者の未来が惨殺の果て、恣意的に奪われたことへの抗議と絶望ではないか。
人は繰り返し絶望に遭遇して初めて、神に真の改心を許されるのかもしれない。


許されざる者 [DVD]
出演:クリント・イーストウッド、モーガン・フリーマン、ジーン・ハックマン
監督:クリント・イーストウッド 
ワーナー・ホーム・ビデオ
2010-04-21




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2016年02月15日

【第41期棋王戦第一局】渡辺棋王、新手と勝勢下の最善手で佐藤挑戦者に先勝

〔ひと言感想〕
「成る程、こちらの方が良い。(予想手の)△6九角だと、(同様に飛車取りと、玉の守備駒取りを狙ってはいるものの、紛れの果て)逆転される可能性がゼロではないが、こちらなら(紛れが無く)、100局指して100局勝てる」。
82手目、勝勢を確信していたであろう渡辺明棋王の△4三角に対する、△6九角を予想した中田功七段のこの旨の感心解説に感心しました。
実力の根本は、「取るべきリスク」と「取らずに済むリスク」の判別力かもしれません。


★2016年2月11日催行
http://live.shogi.or.jp/kiou/
http://kifulog.shogi.or.jp/kiou/41_01/
http://live.shogi.or.jp/kiou/kifu/41/kiou201602110101.html
http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/7970d9a906063921d755f89a3c8272a1

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2016年02月10日

【人間学】「フォーカス」ダニエル・ゴールマンさん

P282
第18章 リーダーが選択すべき道
発想を転換せよーー二種類の経営戦略


(前略)

ビジネススクールの授業では戦略(ストラテジー)について「活用」と「探索」の二つのアプローチがあると教える。人も、企業も(RIM社のように)、既存の能力や技術やビジネスモデルをより向上させていく「活用」ストラテジーで成功するケースもある。一方、既存とは別の革新的な道を探る「探索」ストラテジーで成功する企業もある。

(中略)

組織レベルのバランス感覚は、個人のバランス感覚と平行している。人間の集中をつかさどる脳の実行機能部位は、「活用」に必要な集中と「探索」に必要な開かれた集中の両方を管理している。

「探索」は、現状の集中から離れて新たな可能性を探ることを意味し、柔軟性、発見、革新をもたらす。「活用」はすでに実行していることに集中を維持してパフォーマンスを効率化し向上させる。

「活用」のストラテジーを追求するリーダーのほうが、より安全に利益を回収できる。一方、「探索」を追求するリーダーは、新規事業によってはるかに大きな成功をおさめる潜在的可能性がある反面、失敗のリスクはより大きく、投入した資本を回収できる日も遠い。いわば、「活用」はカメで、「探索」はウサギである。

(中略)

意思決定者の立場にあるベテランのビジネスマン63人を被験者として、「活用」または「探索」のストラテジーを追求する(あるいは二つのストラテジーを交互に追求する)シミュレーション・ゲームをしてもらっているあいだに脳をスキャンした研究がある。すると、それぞれのストラテジーに集中しているあいだ、とくに活発に働く脳内回路が明らかになった「活用」のストラテジーを追求しているときには、脳内では期待と報酬の回路が活発になった。慣れ親しんだルーティンを流すのは、気分のいいものなのだ。一方、「探索」の追求をしているときには、脳内の実行機能と注意制御をつかさどる部分が活発になっていた。現状のストラテジーに代わるものを探索する作業には意図的な集中が必要なようだ。

新しい領域に一歩を踏み出すには、快適なルーティンと訣別し、惰性と戦わなくてはならない。これは神経科学的には「認知的努力」を必要とする行為だ。
そのようにして実行制御を働かせることによって、注意が自由に歩きまわり新しい道を探すようになるのだ。

このような小さな神経的努力が実行できないのは、なぜか?一つには、精神的な過負担、ストレス、睡眠不足、そして言うまでもなく飲酒によって、実行機能の回路がそのような認知的転換をするだけの活力を失い、惰性に流れてしまうからだ。そして、過負担や睡眠不足に悩まされ鎮静作用のある物質に頼る生活は、重要な判断を下さなければならない立場にある人々のあいだに蔓延している。

ダニエル・ゴールマンさんの唱える「活用」は、「既存のモノ/コト(考え)を有効かつ発展的に利用すること」と換言できよう。
また、「探索」は、「未知かつ有用なモノ/コトを積極的に見出すこと」と換言できよう。
ダニエルさん曰く、ビジネススクールは戦略のアプローチには「活用」と「探索」の二つがあると説いているとのことだが、私の換言、理解が誤りでなければ、アプローチが「活用」と「探索」の二つあるのは戦略に限らない。
同じビジネスでは商品開発のアプローチが正にそうだし、プライベートでも音楽鑑賞が正にそうだ。
エリック・クラプトンが「『今回で最後』詐欺」(失礼・笑)を今年も犯して4月に来日するようだが、これは個人の、それもとりわけオヤジの音楽鑑賞がいかに「活用」のアプローチに偏っているか、はたまた、オヤジがいかに「探索」のアプローチに非積極的か、を証明すると共に、音楽鑑賞におけるこれら二つのアプローチの存在を証明しよう。

ダニエルさんの唱えで成る程に感じたのは、リーダーであれ意思決定者であれ、そもそも我々人間は「探索」より遥かに「活用」のアプローチを選好する生き物であること、及び、その主因は「探索」が脳に意識的かつ追加的な集中を強いる一方、「活用」は脳に、懐メロ鑑賞や元カノ情事(笑)に通じる、期待値確定的な気持ち良さ、快適さを恵むことにある、との論だ。
ビジネスとその競合がワールドワイド化した今、とりわけ商品開発で珍重、重視、期待されるのが「持続的イノベーション」ではなく、「破壊的イノベーション」であるのは周知だが、依然殆どの企業が前者を選好し、後者に手をこまねいて、否、事実上スルーして、いる。
これまで私は、この根本原因を専ら会社が社員のリスクテイクに不寛容、又は(並びに)、非奨励的なこと、即ち、経営の手法の問題と考えていたため、脳科学や人間生理学の問題に言及した本論が成る程に感じられたという訳だ。

「どうしたら、クラプトンを聞きに武道館へ行く代わりに、未来のクラプトンを見つけに街のライブハウスへ出向くものか。
どうしたら、元カノの家へ焼けぼっくいに火をつけに行く代わりに、新カノを探しに街へ出るものか」。
破壊的イノベーションが待ったなしの企業の経営者は、社員に、そして、自分に、先ずこう問うと良いだろう。(微笑)



フォーカス
ダニエル・ゴールマン
日本経済新聞出版社
2015-11-26

 

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2016年02月09日

【邦画】「トキワ荘の青春」(1996)

[ひと言感想]
私は本作品を見るまで、寺田ヒロオという漫画家を知らなかった。
寺田氏が断筆を決心した真相は分からないが、彼がファンの子どもに「自分は、劇中の人物のような立派な人間ではない」と言ってサインをしているシーンを見るに、また、「野球選手か教師に成りたかったようだ」との検索動画での令嬢の証言から推量するに、彼は本質的には漫画家ではなく、教育者を目指していたように思う。



寺田氏は、「立派でない」自分を熟知、痛感、嫌悪し、同様の人間の社会的拡大再生産がどうにも許せなかった。
そして、漫画という「敷居の低い」表現手段を使い、子どもを、ついには社会を、然るべき方へ啓蒙したかった、ように思う。

ただ、残念ながら、漫画家に限らず、ビジネスで所謂成功を収めるには教育者を目指すべきでない。
なぜか。
ビジネスでの所謂成功には、相応量の知的弱者、端的に言えば「バカ」を必要とし、かつ、食い物にする必要があるからだ。
たとえば、スーパーが日替わりでセールを実施しているのは、商圏に「バカ」客が相応に存在し、かつ、彼らが機会費用や経済合理性を勘案せず、脊髄反射的に来店するのが相応に見込めるからだ。
寺田氏は教育者を目指しただけに「バカ」ではなかったに違いないが、却ってなまじっか「バカ」ではなかっただけに、「『漫画家としての』終わりの始まり」を真摯かつ積極的に敢行、貫徹してしまったように思う。

しかし、私のこの不遜な推量は、寺田氏の決心、人生を否定するものではない。
なぜか。
かつて島倉千代子と小泉純一郎の両氏が世に唱えたように、「人生色々」、更には、「成功も色々」だからだ。
実際、もし寺田氏がトキワ荘に先住し、面倒を見なければ、漫画家藤子不二雄、赤塚不二夫の成功は無く、「ドラえもん」も」「天才バカボン」も世に出なかったように思うし、また、私を含め、そんな寺田氏の兄貴分かつ聖人的人生に共感や感心を覚える日本人も少なくないように思う。
「人生におけるビジネスの成功とは何なのか。はたまた、そもそも成功とは、人生とは何なのか」。
私は、初めて見知った寺田氏とその公になっている人生から、これらの大事な問いを改めて自分に課したが、先ずは近日、彼の生前の作品を読みたいと思う。


トキワ荘の青春 [DVD]
出演:本木雅弘、鈴木卓爾、阿部サダヲ、大森嘉之、きたろう、桃井かおり
監督:市川準 
VAP,INC(VAP)(D)
2009-10-28


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2016年02月08日

【第65期王将戦/第三局】郷田王将、チャンスを見落とし、羽生挑戦者、復位&五冠に王手

[ひと言感想]
郷田真隆王将の敗因は、49手目に▲7五銀を見落とし、▲5五銀を選んだことにあるようだ。
郷田王将は元々長考派で、本局でも定跡、前例の無い力戦形にになったことに後押され、しかと長考なさっていたようだが、それでも本局唯一のチャンスを見落としたようだ。
本件を経て、カド番に追い込まれた郷田王将の心情は拝察するに余りあるが、郷田王将の実力と実績をもってしてもタイトル戦という最高の実戦舞台において「長考する」こと、つまり、「正しく迷える」ことは決して容易でないのだ。
いわんや、不肖の私が、「正しく迷える」ことを年がら年中し損じてばかりなのは、自然であり、また、当然なのだ。
私は不遜にも、中長期での勝利を欲している。
私は、もっともっと「正しく迷う」経験値を高めなくてはいけない。


★2016年2月4、5日催行
http://mainichi.jp/feature/shougi/ohsho/
http://kifulog.shogi.or.jp/ousho/65_03/
http://mainichi.jp/oshosen-kifu/160204.html
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2016/02/06/kiji/K20160206011990110.html
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2016/02/07/kiji/K20160207011994400.html

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kimio_memo at 09:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 将棋タイトル戦 | -王将戦

2016年02月05日

【オーラル・ヒストリー]「わが記憶、わが記録」堤清二さん

P296
第十三回 作家への期待、財界への苦言

経済団体に存在意義はあるか


(前略)

【御厨貴】
かなり急いでうかがってきましたが、全十三回、三十時間ぐらいになりました。我々のほうで整理する時間を少しいただきたいと思います。すぐに出すという話ではありませんが、しっかりとした形で残したいので、校正をお願いできればと思います。それが済んだ段階で、また少し間を置いて、堤さんが現役でいらっしゃいますし、いろいろお考えになっていることを折々にうかがうチャンスをいただければと思っています。よろしいでしょうか。

【堤清二】
けっこうです。
私のほうから少し申しますと、本当にご迷惑をおかけしますが意識がかなり変わり始めている感じです。しがたって、今までお話ししたことは嘘偽りを申し述べたつもりはありませんが、今後お話しすることとは、かなり矛盾する点が出てくるかもしれない。私の意識が変わってきていますから。そういう点では、せっかく整理したのに全然違うことを言い出したみたいなことが起こりかねません。そこはオーラルヒストリー研究のベテランの先生方に一切お任せするしかありません。
自分でも最近は、えっ、そんなふうに考えていいのかな、と思うような感じです。どんどん自由になっていきます。だから話の仕方も違ってくるし、これを言ったらこの人に悪いかなという遠慮がなくなってきました。

【御厨】
これから文筆活動が中心になるわけですね。今まで経営者と作家と両方だったものが、片方はなくなってくる。ある段階で昔のことをご覧になると、たぶん違う形で見えてくる気がします。そこまで、ぜひ折々うかがいたいと思います。

【堤】
そうですね。書いていて、たとえば小説で経営者を登場させても、全然気にならなくなりました。

【御厨】
今まではすごく縛りがあったということですね。

【堤】
そうは見えなかったかもしれませんが内心では自分なりに縛っていたのでしょうね。でももう抑える必要がなくなった。その点ではすごく楽になりました。

「経営者業からの離脱が加速するにつれ、意識の変化が著しく、今まで話したことが今後話すことと矛盾する可能性が高い」。
私は、堤清二さんのこの旨の発言に、強く深い共感と思考を覚えた。
なぜか。
私はまだ生業的本業から離脱するつもりはないが、それでも近年、年輪を重ね、経験値を高めるにつれ、「意識」、即ち、「物事や事実を認識、評価する基準、方法論」が確実に変化し、過去の認識、評価が、現在のそれと矛盾している自覚が少なからずあるからだ。

勿論、この自覚は、強弱の差こそあれ、誰にでもあるだろう。
顕著かつ普遍なのは異性についてだろう。(笑)
男女共に、若い時は外見を最重視し、いい年になると人間性を最重視しするのは、異性についての意識が、「年代&ニーズの変化」と「経験値の増加」に伴い変化するからだ。

では、なぜ、私は堤さんの自覚に、強く深い共感と思考を覚えたのか。
次元は余りに違うが、やはり同じ経営者だからだろう。
経営者だからこそ「持っている」意識、「持ってしまう」意識、「持たなければいけない」意識とそれらの、自身曰く「縛り」の強さが、不遜ながら身に染みてうかがえるからだろう。
なぜ、経営者は「非情」、「冷たい」とよく言われるのか。
直接の理由は、時に(少数)個人を犠牲、見殺しにする施策を敢行するからだろうが、それは「しなければいけない」のだ。
経営者は、個人より集団の存続を、もっと露骨に言えば、個人より集団のキャッシュフローを優先「しなければいけない」責務と意識を「持っている」し、また、「持たなければいけない」。
そして、「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」を座右の銘に「しなければいけない」。
人間は、とりわけ現代人は「役者」であり、「成りたい自分」、ないし、「成らなければならない」自分を演じているものだが、「経営者」の自分を演じることの幸不幸は、それもあのセゾングループという大集団を経営した堤さんの幸不幸は、うかがうに余りあるものがある。

私は、強く深い共感と思考の果てに、安堵を覚えた。
なぜか。
「経営者は、否、過去、現在を問わず先頭立って世に意見した者は、年と知見を重ながら、過去に形成した意識を『変えて良い』、否、『変えて当然』であり、また、意識とはそうして『変わっていくべきもの』である」。
堤さんの自覚とその一見開き直り友思える告白から、この気づきと精神の開放を授かったからだ。
私は心身が許す限り、経営者でありたい。

末筆だが、不肖の経営者に安堵を、ひいては希望を授けてくださった堤さんの冥福を、強く深く祈念したい。(礼)







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2016年02月04日

【洋画】「アザーズ/The Others」(2001)

[ひと言感想]
なぜ、グレース(演:ニコール・キッドマンさん)は愛する吾が子を道連れにしたのか。
しかも、なぜ成仏できなかったのか。
未練だろう。
本人の意思を無視した、他者(The others)への一方的かつ過剰な愛情、執着、粘着。
未練はその当然の報いであり、グレースから正気と成仏への道を奪うのに十分だろう。

結局、集団の確立が個の確立を前提とするように、他者を未練なく、適切に愛するには、先ず自分を適切に愛さなくてはいけないのだろう。
そして、自分を適切に愛するには、先ず自分と素直に向き合い、愛すべき自分に、更には、愛される自分に出遭わなくてはいけないのだろう。
愛される自分に出遭えないツケを他者へ回すのは、彼らにとってはいい迷惑以外何物でもなく、挙句、拒絶され、自壊に追い込まれても自業自得以外何物でもないのだろう。


アザーズ [DVD]
出演:ニコール・キッドマン、フィオヌラ・フラナガン
監督:アレハンドロ・アメナーバル 
ポニーキャニオン
2002-11-20




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2016年02月03日

【邦画】「巨人と玩具」(1958)

[ひと言感想]
「現代の人間は赤ん坊以下、犬以下だ。なぜなら、彼らは考えないからだ」。
合田宣伝課長(演:高松英郎さん)の主張は尤も、かつ、普遍だ。
なぜ人は、我々は、考えないのか。
また、なぜ考えたところで、その対象から自分を除外しがちなのか。

極論すれば、自己肯定を断絶させるリスクがあるからだ。
「人はパンのみにて生くる者に非ず」とあるように、我々は胃袋に加え精神を満たさなければ、具体的には、自己を肯定し自尊心を満たさなければ、生きられない。
要するに、我々は「自分の思考は真っ当だ」と、そして、「自分は一角の人物だ」と思いたいし、そう思わずにはいられないのだ。
然るに、「下手の考え休むに似たり」とは少し違うが、下手に考えて、「自分の思考は正しくないのではないか?」と、ひいては、「自分はこの世に居ても居なくても良い、高が知れた人間ではないか?」と思いたくない、つまり、自己肯定を断絶させたくない、のだ。

ちなみに、これまた極論すれば、我々が他者への批判や嫉妬を絶やさないのは、自己肯定を後押し、ないし、維持するゴリヤク(御利益)があるからだ。
要するに、我々は敢えて他者を否定評価し、認めないことで、自尊心を高め、また、守っているのだ。
たとえば、今、我々の多くがベッキーや甘利大臣を批判、否、糾弾しているのは、根源的には正義感ではなく、嫉妬だろう。
我々の多くは、自分のやましさや足り無さを棚上げし、それらに通じる彼らの公になった過ちを「これ幸い!」と糾弾することで、改めて自己を肯定し、自尊心を守っているのだろう。
本来自分と無関係ではあるも、社会的成功者である彼らに嫉妬し、彼らを徹底的に糾弾でもしないことには、不出来なオットやツマに日々辟易している自分、或いは、不本意な職場環境と実入りで宮仕えしている自分が余りにも浮かばれなく、惨めに思えるのだろう。

批判や嫉妬のネタに事欠かない現代の情報化社会は、我々人間にとって格好の「考えない」空間だ。
情報化社会が後押しする最たるは、我々生来の現実逃避、自己逃避グセ(癖)かもしれない。


巨人と玩具 [DVD]
出演:川口浩、野添ひとみ、高松英郎、伊藤雄之助
監督:増村保造 
KADOKAWA / 角川書店
2016-01-29


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