2013年05月

2013年05月31日

【NHK】「ラストメッセージ井上ひさし"最期の作品"」井上麻矢さん

【ナレーション(井上麻矢さん回顧談)】
亡くなる直前、まだ意識が有った父(=井上ひさしさん)が私に語った言葉が忘れられない。

【井上麻矢さん】
「病気で死ねるって、とても有り難い」って言ってたんですよね。
戦争で死んだ人は、もう一瞬にして死んだりする訳でしょ、何の死の準備も無く、ね。
だから、自分はすごく幸せであると、恵まれている、と言ってたんですよね。

井上ひさしさんのこの臨終の言は成る程であり、また、尤もだ。
人生は終活だ。
たとえ、往生の契機が病とはいえ、その準備である終活を本意で全うできた井上さんは、不本意に断たれた戦場の戦士と比べ、明らかに大往生を遂げる確率が高かったのは勿論、何より悔いが少なく、結果、幸せで、恵まれた人生だったに違いない。

しかし、井上さんのこの臨終の言は、本当に幸せで恵まれた人生の吐露だったのだろうか。
不遜だが、私には無念の言い訳に聞こえてならない。
たしかに、井上さんの病床での終の終活は、戦場での終の終活とは異なり、不本意にこそ断たれてはいないが、井上さんの本意だった訳ではなかったはずだし、井上さんの本望が叶った訳でもなかったはずだ。
才と志溢れる井上さんのこと、その本意は、本望は、もっと遠く、高い所に在ったのではないか。
だからこそ、井上さんは、かくなる臨終の言を愛娘に遺す形で自分に吐露し、志半ばで逝かざるを得ない無念に自分で言い訳するほか無かったのではないか。

たしかに、才能と大志は、人生を豊かで充実したものにする。
しかし、人生が豊かで充実すればするほど、本意や本望が遠く、高くなり、大往生も遠くなるのではないか。
非凡の大往生を遂げる確率が凡人と比べて低いとすれば、人生は何とも皮肉でむごたらしい。



★2013年5月9日放送分
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0504/



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2013年05月29日

【経営/人生】「イノベーション・オブ・ライフ」クレイトン・M・クリステンセンさん

P83
戦略はーー企業戦略であれ人生の戦略であれーー時間や労力、お金をどのように費やすかという、日々の無数の決定をとおして生み出される。あなたは一瞬一瞬の時間の過ごし方や、労力とお金の費やし方に関わる一つひとつの決定をとおして、自分にとって本当に大切なのはこういうことだと、公に宣言しているのだ。人生に明確な目的と戦略をもつことはたしかに大切だが、自分のもてる資源を、戦略にふさわしい方法で投資しない限り、何にもならない。結局のところ戦略は正しく実行されなければ、ただの善意でしかないのだ。

自分が心から実行したいと思う戦略を、実際に実行しているかどうかを確かめるにはどうすればいいだろう?自分の資源が流れている場所に、つまり資源配分プロセスに目を配ろう。

ここ数年、ダイエット目的でスポーツバイク(自転車)を購入したものの、結局部屋のインテリア(笑)にしている人は少なくない。
なぜか。
予めサイクリングの労力と時間を計画的に割き、強制的に実行していないからだ。
イイ大人が太り、かつ、減量できないのは、基本、体質が筋肉比率と基礎代謝の低い肥満体質になっているからであり、軽くて速いスポーツバイクに乗り始めたからと言って、それが忽ち筋肉体質に変容するわけではない。
つまり、たしかに「スポーツバイクでのサイクリング」というダイエット戦略そのものは正しいが、筋肉体質を作り始めるまでの当分の間、殆ど成果を生まないが為、彼らは、予め必ずサイクリングにかける労力と時間を計画的に割き、雨や身内の不幸でも無い限り(笑)、強制的に実行する必要がある、ということだ。
にもかかわらず、彼らは、そもそもスポーツバイクを「ダイエットの簡単特効薬」位にしか考えておらず、計画も強制実行もしない。
ゆえに、「サイクリング開始即体重ダウン」との身勝手な予想を強烈に裏切られ、間も無く元のスポーツバイクの無い生活に逆戻りしてしまう。
そして、折角のダイエット戦略は「ただの善意」に堕し、スポーツバイクは部屋のインテリアと化してしまう。

「手持ちのリソース(時間、労力、カネ)を最も目的達成的に配分する計画(決断)とその実行があって初めて、戦略は戦略足り得る」とのクリステンセン教授のお考えは、成る程かつ尤もであり、今述べたように私生活にも十分当てはまる。
誤解を怖れずに言えば、ビジネスも私生活も主体は同じ、気まぐれで怠惰な(笑)人間であり、ビジネスの原理は私生活にも十分当てはまる。
私生活に当てはまらないビジネス原理は、それは「原理」ではなく「ただの方法論」である。


P112
だがイケアはどれともまったく異なる手法をとっている。特定の顧客や製品の特徴ではなく、顧客がときおり片づける必要が生じる「用事」を中心に構成されているのだ。

用事だって?

わたしは過去20年間に行なった自身のイノベーション研究のなかで同僚の研究者とともに、マーケティングと製品開発に対するこの考え方を理論化して、「片づけるべき用事」と名づけた。この考え方の背景には、こんな洞察がある。製品・サービスを購入する直接の動機となるのは、実は自分の用事を片づけるために、その製品・サービスを雇いたいという思いなのだ。

どういう意味だろう?わたしたちは特定のユーザー属性に従って、人生を送るわけではない。大学在学中の18歳から35歳までの白人男性だからという理由で、特定の製品を買う人はいない。こうした属性は、たしかに特定の製品を購入する意思決定と相関性があるかもしれないが、それが何かを買う動機になることはない。むしろわたしたちは日々生活を送るなかで、ときおり片づけなくてはいけない「用事」ができ、それを何らかの方法で「片づけ」ようとする。とこかの企業がこの用事をうまく片づける製品を開発すれば、わたしたちはその製品を買って、つまり「雇って」、用事をさせる。だが、既存製品に用事をうまく片づけられるものがなければ、一般にはすでにあるものを使って何かをつくり、できるだけうまく用事を片づけようとするか、「ワークアラウンド」(次善策)を考案することが多い。わたしたちが製品を購入する動機になるのは、「自分には片づけなくてはならない用事があり、この製品があればそれを片づける助けになる」という思いだ。

私の息子のマイケルは、最近生活に生じた用事を片づけるために、イケアを雇った。

(中略)

イケアは特定の属性をもつ消費者集団に、特定の家具を販売しようとはしない。そうではなく、消費者が家族とともに新しい環境に身を落ち着けようとする際に、しょっちゅう生じる用事に焦点をあてている。明日中に新しい家の家具をそろえなくちゃ。次の日には出社するんだから。製品企業はイケアの製品を模倣できる。店舗レイアウトすら模倣できる。だがいまだ模倣されたことがないのは、イケアが製品と店舗レイアウトを統合している、その方法なのだ。

この考え抜かれた組み合わせのおかげで、顧客はすべての買い物を一度にすませられる。

(中略)

実際、イケアがこの用事をあまりにもうまく片づけるものだから、イケア製品に強烈な忠誠心をもつようになる顧客が多い。息子のマイケルも、イケアの最も熱狂的な顧客の一人だ。新しいアパートや部屋に家具を備えつける必要が生じるたびに、イケアがその用事を完璧に片づけられることを知ったからだ。マイケルは、友人や家族が同じ用事を片づける必要が生じると、なぜイケアがほかのどんな企業よりこの用事をうまく片づけられるかを、得々と話して聞かせる。

企業が人々の生活に生じる用事を理解し、その用事を完璧に片づける製品を開発し、顧客が製品を購入、利用するのに必要なその他の条件を整えれば、顧客は用事が発生するたびに、その製品を反射的に自分の生活のなかに「引き入れる」ようになる。だが企業が他社にもつくれるような製品をつくっている場合や、製品がいろんな用事を片づけはするが、どの一つもうまく片づけられない場合、顧客がその製品に愛着をもつことはまずない。それに代わる製品が発売されれば、瞬時に乗り換えるだろう。


P123
研究のきっかけとなった疑問の一つが、なぜ学習意欲のない生徒がこれほど多いのかというものだった。学校は最新技術や特殊教育、楽しみや校外学習を指導方法に取り入れるなど、さまざまな改善を図っているが、ほとんど効果があがっていないように思われる。

いったいどうなっているのだろう?答えは、生徒が生活に生じるどんな用事を片づけるために学校を雇うのかを、理解することにある。

わたしたちの導いた結論はこうだ。学校に通うことは、子どもたちが片づけようとしている用事ではない。学校は、子どもが用事を片づけるために雇う手段であって、用事そのものではない。子どもが日々片づけなくてはならない二つの基本的な用事とは、成功したという達成感を得ることと、友人をつくることだ。もちろん、これらの用事を片づけるために、学校を雇うこともできる。生徒のなかには、授業や学校のバンド、数学クラブ、バスケットボール・チームなどをとおして達成感を味わい、友人を見つける人もいる。だが学校を中退して非行集団に加わったり、車を買って乗り回したりするのも、用事を片づける手段のうちだ。用事という観点から見ると、学校がこうした用事をまったくうまく片づけていない場合が多いことが、とてもよくわかる。むしろ学校は、ほとんどの生徒が落ちこぼれと感じるようにできているのだ。

(中略)

生徒に勉強をがんばるべきだとただ言い聞かせるだけでは、学習意欲を高められるはずもない。むしろ、これらの用事ーー達成感を得ること、友人たちと一緒にものごとに取り組むことーーを片づける助けになるような体験を提供する必要がある。

生徒に日々達成感を得られるようにカリキュラムを改革した学校では、中退率が低下し、長期欠席者はほとんどいなくなった。生徒は成功するという用事に即した課題を与えられると、自ら進んで難しい教材を学ぼうとする。そうすることで、用事を片づけられるからだ。

あなたさまも、これまで(今も?w)特定の異性に激しい恋愛感情を抱いた覚えがあるに違いない。
そして、この感情を抱いたが最後、他のことが一切同時併行できなくなる「自堕落な幸福感」(笑)も抱いた覚えもあるに違いない。
「人を好きになるのに理由は無い」と人は言う。
たしかにこれは正論であり、これまで「なぜ彼(彼女)が好きなのか?」や「そして彼(彼女)とどうしたいのか?」を合理的に解説する人に会ったためしがない。
かつて太宰治さんは「恋愛は性欲の情動である」と仰り、私もこれが正解と思って憚らないが(笑)、かくも文明が進んでも正解は依然不明だ。

本件は、私たちに何を示唆しているのか。
一つは、「私たちは、日々自分の思いや行いの根本理由を自覚せずに、それらをただ具現している」ということだ。
私たちが自覚しているのは、基本、「そう思ってしまった」という事実と、「そうしたい(orそうしたくない)」という欲求だけだ。

だから、私たちは日々何らかの商品を購入しているが、その根本理由、即ち、「ニーズ」も自覚していない。
たとえば、私たちは日々昼飯を食べているが、昼飯のニーズを自覚することは殆ど無い。
当時、私たちの多くが自覚しているのは、せいぜい「早く、千円以内で空腹に対処しておかねば」という切迫した義務感だけだ。
然るにクリステンセン教授がお考えになった「片づけるべき用事(jobs to be done)」なるマーケティング理論は、成る程であり、説得力がある。
私たちの多くが少なくない後悔を胸に、志半ばでこの世を去るのは、日々「片づけるべき用事」の対処だけで手持ちのリソースを使い果たしてしまっているせいかもしれない。







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2013年05月28日

【野球】「阪神タイガース暗黒時代再び」野村克也さん

P106
ピッチャーは「打てるものなら打ってみろ」というプラス思考であることが多いが、捕手は「打たれるかもしれない。だからできるだけ打たれる確率が低い球種、コースを常に考えていこう」というマイナス思考を常に持つべきだ。プラスの投手とマイナスの捕手が信頼関係を築くからこそ「バッテリー」(電池)というのだ、と私は勝手に解釈している。配球とは、1球1球が応用問題である。だから、必ず1球には根拠をもって配球することが求められる。

たしかに、投手と捕手は「バッテリー」と言われるが、その根拠は、「やるのはオレだし、大丈夫!」の楽観論者と「本当にアイツで、このやり方で大丈夫だろうか?」の悲観論者の組み合わせの妙なのかもしれない。
ともあれ、プロフェッショナルの成果物は、楽観と悲観の絶妙の恵みであって然るべきだ。


P169
弱いチームに共通するのは、似たような選手が多く集まることだ。監督就任当時のヤクルトも、楽天もそうだった。現在でも横浜DeNAの投手などを見ると、先発としても抑えとしても「帯に短し、たすきに流し」で、誰が先発してもそこそこ同じ、というような構成になっている。これは明らかにスカウト能力が劣っていることの表われである。

私は「球が速い、遠くへ飛ばす、足が速い、は天性のものだから、天性に秀でた選手を探してきてほしい。細かな技術は、プロに入ってからいくらでも身につけさせられるから」と要求していたが、能力がないスカウトほど大きな失点をしたくないために、適度にまとまった選手を求めがちになる。まして阪神は、中心選手をFAなどでかき集めてしまった。「あとは枝葉の選手だ」となって、さらに似たようなタイプばかり探してくる。

これでは和田監督がいくら望んだしたとしても、適材適所のオーダー構成はできなくなる。野球において、9つの打順と9つの守備には、それぞれ意味がある。監督には「こういう野球がしたい」という方針があり、その方針に従って、9つの打順と9つの守備位置にふさわしい人材を当てはめていく。

しかし同じようなタイプの選手ばかりでは、監督にとって理想のオーダーを組むことはできない。これでは、山登りのエースがいない箱根駅伝の監督のようなもので、なるようになれ、と指をくわえてプレーを見つめるしかない。似たものばかり、のチーム編成は、こと厳に慎むべきである。

成る程、たしかに、山登りのエースが居ない大学マラソン部の監督は、目を瞑って箱根駅伝の出場選手を決めるしかない。
「適材適所」は、野村克也さんが巨人のV9に学んだ最たるの一つだが、これは、組織で勝利を目指す全ての事柄に当てはまるに違いない。

また、たしかに「適材適所」は、勝利へのあるべき方針、アプローチが先ず在ってこそ必要かつ、具現が求められる。
「どう勝ちたいのか?」を基盤としない「適材適所」は、単に組織の長の「好み」だ。


P171
私はヤクルトで1995年に宮本慎也が入団してきた時に、まず「守り専門の自衛隊でいい。打順は8番をくれてやる。しっかり勉強せい」と話した。その上で「お前が引っ張ってもカネにならん。右へ打て。打ち上げるな。ゴロを打て」と命じた。

(中略)

鉄は熱い内に打て、という。プロ1年目で、真新しいスポンジのような吸収力を持っている時期に、宮本と出会えたことがよかったのだろう。プロに来て、周囲のバッターの打力に圧倒される。自分が本当にちっぽけな存在だと感じるものだ。群を抜くような実力を備えた選手でないかぎり、誰もがそこで初めて、己を知る。そこで適切な方向性を示してやることで、人は向上していける。

(中略)

大和にしても、例えば俊足の上本(博紀)を走者に置いた場面で打席に立つ際には「初球から打っていいか」を確認してから打席に入るくらいの慎重さがほしい。こうした確認作業はコーチが徹底して教え込んでおくべきだ。「やってくれるだろう」ではなく、「必ず確認する」という習慣を植えつけておくべきである。

反復や確認によって、考える習慣を身につけることができる。今の若い選手は、アマチュア時代に、既に基本はしっかりとたたき込まれている。しかしその基本も、実戦で生かすことができなければ意味がない。そのためには基本だけではなく、基礎が必要である。

基本とは技術だが、基礎とは技術習得の土台となる体と意志の強さと考える力のことだと私は考えている。バットを振る、これは技術であって基本である。しかしケガをしない体、反復練習に耐える精神力、どの球をどうやってどこに打ち返すのかという思考法、これはプロとしての基礎である。

その基礎を作るための出発点は、己を知ることから始まる。つまり「自分はどういう選手か」「自分がどういう選手になれば1軍の試合で使ってもらえるのか」を考え抜くことである。

宮本であれば「自分が監督に使ってもらうには右打ち、ゴロ打ちをするしかない」というものだった。己を知ること、つまり自分に期待された役割を知ることが、プロとして食っていけるか、ということにつながる。

野村さんの仰る「基本」と「基礎」は、パソコンで言うところの、ExcelやWordといった「アプリケーションソフト」とWindowsやMac OSといった「オペレーションシステム」に通底しているに違いない。
本来、表計算の技術力を高めたければ最新のExcelをパソコンにインストールすればいい訳だが、Windowsのバージョンが低いと、インストールさえできないし、インストールできたとしても使い勝手が良くない。
最新技術が溢れかえる現代ほど、「基礎」の会得と維持の重要性が高まっている時代は無い。







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2013年05月17日

【観戦記】「第71期名人戦七番勝負〔第2局の13▲森内俊之名人△羽生善治王位挑戦者〕切れた緊張の糸」上地隆蔵さん

若いころの羽生(善治挑戦者)なら、奨励会の延長で駒を埋めまくって粘り倒し、なりふり構わず指し続けたことだろう。
実際それでよく逆転勝ちし、相手を呆れさせた。
20代では羽生マジックで幻惑し、十中八九の負け将棋を拾うことが珍しくなかった。

「将棋の終盤は800通りに分類できる」という冷めた言葉が独り歩きしたのもこの頃で、若き天才の論理が周囲を戸惑わせたこともあった。

しかし不惑を過ぎた羽生は、ほとんど終盤に関心を示さなくなった気がする。
終盤を「勝負」と言い換えてもいい。
それが淡白さとなり、仮に拾えたはずの勝負を落としたとしても別に構わないという、ある種の開き直りが見える。
テーマや意味を失った将棋に、最近の羽生は冷たい。

それでも相手が前期競り負けたライバルの森内(俊之名人)であり、思い入れの強い名人戦だから、勝負の比重を高めて対局に臨んでいたと思われるが、やはり延命策はとらず、潔く自ら首を差し出した。
△6六馬で羽生の緊張の糸がプツンと切れた、そんなふうに思えた。

「テーマや意味を失った将棋に、最近の羽生は冷たい」と断じた筆者の上地隆蔵さんの思いは、分からないでもない。
羽生さんは、昨秋、奇手△6六銀で王座位を奪還しているが、インタビューなどで、「今と比較すると、昔は非常に往生際の悪い将棋を指していた」旨しばしば述懐しており、間違いでもないだろう。

私の様な凡人が羽生さんの様な大天才兼大成功者の心理を読むことほど困難かつ酷なことは無いが、一羽生ヲタ(笑)として言わせていただければ、最近の羽生さんは「『勝つ』と『負かす』の違いにシビアになった」印象がある。
そして、その心境変化は、加齢に因る時間とエネルギーの減少と、コンピューター将棋の台頭が大きく影響している様に感じる。

羽生さんは、不世出の将棋界の第一人者として、残された時間とエネルギーを、「相手を負かす」のではなく、「自分と将棋そのものに勝つ」ことに集中したいのではないか。
大天才兼大成功者とはいえ、人間足る者、自分自身の往生際が窺えたら、人間勝負の往生際には関心が薄れるのではないか。



★2013年5月17日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



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2013年05月16日

【邦画】「僕らのワンダフルデイズ 」(2009)

〔ひと言感想〕
やはり、共通言語は偉大です。
そして、確かに音楽は、時と人を超える優れた共通言語であり、「生きてる奇跡」を紡ぎ合うにはぴったりです。
私も、またギターを弾きたくなりました。(笑)


僕らのワンダフルデイズ 初回限定版 [DVD]
出演:竹中直人、斉藤暁、稲垣潤一、段田安則、浅田美代子
監督:星田良子 
キングレコード
2010-04-16


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2013年05月15日

【洋画】「NEXT/ネクスト」(2007)

〔ひと言感想〕
人は、自分事の来るべき蹉跌を素直に予知、受容した時、自分事と他人事の境界線を取り払えた時、新たな能力と成長に出遭うのかもしれません。
未来を変える未来を創るのは、結局自分です。


NEXT -ネクスト- スタンダード・エディション [DVD]
出演:ニコラス・ケイジ、ジュリアン・ムーア
監督:リー・タマホリ 
Happinet(SB)(D)
2009-10-23




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2013年05月13日

【邦画】「あかね空」(2006)

家族は、どんな為ん方(せんかた)無いことがあっても、やめることはできぬ。
それ故、一緒におる温かみを忘れて、辛さのみが見えてしまうもの。
だがのぉ、世の中には、一緒に暮らしたくても、引き裂かれてしまう家族だってある。

人情は、為ん方無い時にこそ伝わってしまう、受けとめてしまうからこそ、人情と言うのかもしれない。
人情は、人類の共通言語かもしれない。
人生は、人情に応えてこそ、人生と言うのかもしれない。


出演:内野聖陽、中谷美紀
監督:浜本正機
原作:山本一力 
角川エンタテインメント
2007-10-12



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2013年05月11日

【自戦記】「第71名人戦B級2組順位戦〔第6譜▲杉本昌隆七段△豊島将之七段〕気持ちのよい手順」豊島将之さん

夜戦に入り、ここからは体力も重要だ。

あるとき、自分の敗局を分析したのだが、もし体力が無尽蔵にあって、頭の回転がもっと速ければ負け将棋の半分は勝っているという結論に達した。

いろいろ試したが、頭の回転を速める方法は、なかなか見つからない。

体力の方は、半年前からジムに通っていて、すこしずつだが効果が感じられるので続けようと思っている。

豊島将之七段が敗因を体力と思考速度にまで深く遡って分析しているばかりか、それらへの対策を実際に試行錯誤していることに感心した。
やはり、若手のトッププレイヤーは、かくして経験の量の少なさを質で補っている。

しかも、彼らは、経験の量の少なさを決断の良さとして有効活用している。
彼らが、経験の量ばかりを頼りにし、敗因の分析と対策を等閑にしているオヤジプレイヤー(笑)を軽々負かすのは当然だ。

そして、たしかに体力こそ、全ての敗因のボトルネックだ。
実行力が低下するのは勿論、思考速度が低下するのは、根気と集中力の減退もさることながら、根源的には体力の減退が大きい
プレイヤー足る者、老若男女問わず、体力の減退に絶えず抗わなければいけない。



★2013年5月9日付毎日新聞夕刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/

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【観戦記】「第71期名人戦七番勝負〔第2局の7▲森内俊之名人△羽生善治王位挑戦者〕森内、位を取る」上地隆蔵さん

解説の飯島(栄治)七段に、両対局者の話を聞いた。

「森内(俊之)名人は、本当に精神力が強い。不調時の戦い方が勉強になる。負けが込んでいる時は、普通のことができない。私は空回りする。でも名人は慌てても仕方がないという感じで、やるべきことを実行する。そういう強さを学びたい」

不調とは、「事前にやると決めたプロセスはしているが、結果が出ていない」状態のことを言う。
勿論、「事前にやると決めたプロセス」は「やるべきこと」であり、森内俊之名人の不調時の戦い方は、飯島栄治七段と同様、不肖の私も大いにまねばねばいけない。

本文を読んで改めて気づかされるのは、「持続的な強さは、泰然自若の維持に大きく依存する」ということだ。
イチローが必ず、試合前、誰よりも早く球場入りして、練習とストレッチを十二分に行なうのも、そして、試合後、ロッカールームで一人、グラブを丹念に磨きながら、試合とプレイを振り返るのも、「やるべきこと」をやると同時に、泰然自若を切らさないことが主旨に違いない。
「目先の結果に一喜一憂せず、また、安直に易きに流れない」。
心身のぶれの不断の自制こそ、持続的な強さを得る大原則だ。



★2013年5月11日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



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2013年05月10日

【観戦記】「第71期名人戦七番勝負〔第2局の6▲森内俊之名人△羽生善治王位挑戦者〕藤井、長考を語る」上地隆蔵さん

昼食休憩を挟んで羽生(善治挑戦者)が△6四歩に50分、森内(俊之名人)も呼応するように▲4七銀に50分考えた。
じっくりと練って、ごく地味な手を指す。
達人同士の間合いの計り方で、いかにも名人戦らしい。
対局者の長考について、理事として現地を訪れた藤井(猛)九段に話を聞いた。

「私は8時間の経験しかないが(竜王3連覇、王座・王位挑戦)、2日目は勝負の場、1日目は勉強の場。
そんなふうに考えている。
だから序盤に関していうと、深く広くというより、目いっぱい広げていろいろな可能性を考える。
そういう時間の使い方は楽しいし、2日制のタイトル戦ならではと思う。
それに、この手でいこうと決めていても、改めて盤の前で読んでみると、『ハッ!』と相手の好手に気づくこともある。
やはり、本番と研究では真剣度が違うから」

藤井猛九段の「タイトル戦」、否、「大舞台」での長考論は尤もだ。
大舞台は、登壇者に潤沢なリソースは授けるも、極限の真剣さと緊張を強いる「究極の試練」だ。
だから、大舞台の登壇者は、平生では叶わない着想と行動が可能になり、ひと回り強くなる。
当然、強い人は大舞台に出ずっぱりになるからして、「強い人は益々強く、弱い人は益々弱く」なる。

人間の成長は、経験した試練の量と質に依存する。
私たちは、大舞台への登壇にもっと貪欲でなければいけない。



★2013年5月10日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



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2013年05月09日

【経営】「稼ぎたければ、働くな。」山田昭男さん(未来工業株式会社創業者)

P69
そこで、私の思いつきで、(会社を)見学する(社外の)人からひとり二千円の見学料をもらうことにしたのだ。

まず、総務の人間が一時間ばかりしゃべる。その後工場を見せたり、社内を見学してもらったりして、合計三時間弱のコースだ。

見学にお金を取る会社など、ほかにはないだろう。トヨタだって、パナソニックだって、工場を見学するのはタダである。そこをあえて二千円も徴収するのだから、「これは何かあるに違いない」と、みなそう思う。期待して来るわけだ。

正直なところ、金額にして二千円に見合うだけの価値があるのか、と聞かれると、疑問である。

未来工業はプラスチックの電設資材をつくっている会社だ。工場にあるのは製品用の金型だ。こんなものはどこにでもあるから、別段珍しいわけではない。つまり、見る価値があると言えるほどのものはとりたててない。

しかし私はあえて二千円という高い見学料をとることにした。昨今、美術館へ行ってもせいぜい入場料は千五百円程度だ。少し意外に思えるくらい高い見学料にすることで、いやが上にも期待感が盛り上がる。

これが「グッチ」と同じ、”ブランド化”作戦である。最初から高い値段がついていれば、買う側も自然とそれだけの価値があると受け取ってしまう。

誤解しないでほしいが、詐欺とは違う。高い値段がついているからこそ、買う側が自ら、そのものにふさわしい価値を見出す。それだけのことである。三十万円出しても、このカバンが欲しい、と思わせられるかどうかである。

何が言いたいのかというと、商売は安売りをしてはいけない。常に、どうすれば値上げできるか、アイデアを出し続けることが大事なのだ。

成る程、たしかに、販売時の商品価値は、買い手の期待と認知で高くも低くも成る。
価格は、買い手にとっては「商品価値の期待値」と「商品価値の認知試練値」から成る「商品価値の重要評価基準」であり、売り手にとっては「営業ツール」だ。

この意味において、価格は男子のスーツと同じかもしれない。
高価格が設定された商品が、高価値を希求する”その”顧客に、”その”顧客なりに評価され、笑顔で買われていく様に、仕立ての良いスーツを身にまとった男子は、優れた知力と経済力を希求する”その”女子に、”その”女子なりに値踏みされ、笑顔でお持ち帰りされる。(笑)
当然、”その”女子からすると、”そのスーツ”男子のアバタはエクボだ。(笑)


P102
人は放っておくとすぐマイナス方向に物事を空想してしまいがちだ。

お歳暮を贈らないと、お客さんに逃げられてしまうんじゃないか、お中元を返しておかないと機嫌を損ねるんじゃないかーー。

でも、実際に逃げられた奴はいるんだろうか?お中元を贈らなかったら、つぶれたという会社はあるんだろうか?もしあったら教えてほしい。

おそらくひとつもないだろう。なぜなら、贈らなかった経験がないからだ。贈らないと客に逃げられる、と「空想」するので、みんなが贈る。誰も贈らなかった経験がないのだから、実際のところはわからない。

わからないのに、逃げられると考えるのはマイナスの空想にすぎないではないか。そんな思考にとらわれているからほとんどの会社や人間は伸びないのだ。

贈らないと、逃げられるかもしれない。これはマイナスの空想だ。

反対に、贈らなくても、絶対逃げられないと思えばいい。これがプラスの想像である。

私はよく常識と真逆のことをやる。

休みを増やしたり、タイムレコーダーを廃止したり、残業をなくしたり、福利厚生を充実させたり、給料は業績が上がる前にどんどん増やしてやったり。そのたびに経営者仲間はぶったまげて言ったものだ。
「山田さんはアメばっかりだね。ムチがないとダメなんだよ。社員になめられるよ」

私は不思議でならない。
「おまえさんは、なめられたことがあるのかい?」

そう聞いても、実際になめられたという者はひとりもいない。なめられたことがないのに、なめられるような気がして、「なめられる」と騒いでいるだけのことである。

それはマイナスの空想の固まりにすぎない。やってもいないことを、やる前からダメだと決めつけるのだ。

人は百人いれば百人、自分が経験してもいないことをマイナスに空想したがる。そしてビビッて現状に留まってしまう。

現状とは、(一年間に四千万円に満たない利益しか出していない)九十七%の会社が留まっている「儲からない状態」のことだ。能力のない人間はやたらとマイナスの空想をする。空想するから稼げなくなる。

そもそもビジネスはみな経験則でできているはずだ。経営は空想ではなく、経験に基づいて行なうものだ。だから経験そのものをたくさんすべきなのである。にもかかわらず、なぜ経験する前に空想するのだろうか。

マイナスの空想が浮かんできたら、必ず一度自分に問うてほしい。

あなたは「それ」を実際に経験したのか。
「それ」は本当に起きることなのか?

そうすれば、いかに自分がマイナスの空想にとらわれていたのかがわかるだろう。

ある時、こんな質問をする人がいた。
「マイナスの空想とリスク管理はどう違いますか?」

両者は似ているようで明らかに違う。リスクとは実際にそれが起きた実例があるものだ。つまり経験則があてはまる。

たとえば一社に売上の三十%以上を依存していると、倒産のリスクが高まる。そんな実例は山ほどある。
「売り上げが一社に集中すると、もしもの時に共倒れになるかもしれない」という危険性を見越して、得意先を増やそうとするのは、リスク管理であってマイナス思考ではない。

でも、「お中元を贈らなかったら、得意先がヘソを曲げ取引が減るかもしれない」と考えるのはマイナス思考である。実際にそれで被害が出た会社があるのかといったら、そんな例はないだろう。

ありもしないことを空想するのがマイナス思考だ。実際に起こったことを検証して、それに備えるのがリスク管理であり、プラスの想像力だ。

このふたつをはき違えている人が多いのは、何とも困ったものである。

恐縮だが、「自他の実例や経験に裏打ちされていない否定的な未来を危惧する余り、計画を断念したり、不必要な対処を事前に施すのは、単にマイナスの思考、空想であり、自他の実例や経験に裏打ちされているそれを悉く想定し、事前に相応の対策を施して計画を実行するのが、リスク管理的思考、ないし、プラスの想像力である」との山田さんのお考えは、完全には同意しかねる。
なぜなら、もし、山田さんのこのお考えが完全に正しければ、311の原発事故も空想になるからだ。
自他の実例や経験に裏打ちされていなくても、発生確率が相応に在り、かつ、損害回復コストが事前対策コストを大きく凌ぐ(→利害関係者に壊滅的ダメージを与え得る)否定的な未来を想定するのも、リスク管理的思考、ないし、プラスの想像力に含まれて然るべきだ。

とは言え、山田さんのこのお考えは、基本的には同意だ。
なぜなら、山田さんが世の97%の非儲かり企業に最も仰りたいのは、「現時点でありもしない否定的な未来を際限無く危惧する余り、現時点であり得る否定的な未来を想定(→事前対処)し損ねてしまうのは本末転倒であり、経営者はその思考回路(習性)を今すぐ改めるべきだ」ということだからだ。

山田さんのこのお考えは、将棋で喩えると、「非儲かり企業の経営者は、基本中の基本の『三手の読み』を会得、励行することを端折り、高段者気取りで『七手の読み』を試みては挫折し、結果、会社の収益は勿論、実力をも向上させられないまま、毎日を無為に過ごしているに等しい」ということだ。
史上最強棋士と称される羽生善治さんでさえ、「対局中、たしかに、何百手も読むことは読むが、実際に数手進むと必ず、先に読んだのとは全く異なる局面が出てくる(→が故に、先の読みはオールリセットし、改めてイチから読み直すことになる)」と仰っている。
非儲かり企業の経営者は、ありもしない七手先の手を読む余り、十二分にあり得る三手先の手をしかと読まない愚を速やかに改める必要がある。







kimio_memo at 07:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 書籍 

2013年05月02日

【洋画】「ディスクロージャー/Disclosure」(1994)メレディス・ジョンソン(演:デミ・ムーアさん)

【メレディス・ジョンソン(演:デミ・ムーアさん)】
自由が懐かしい?

【トム・サンダース(演技:マイケル・ダグラスさん)】
その(=家庭を持ち、一男性としての自由を諦めた)見返りは得てるよ。

【メレディス】
「人生なんて所詮は妥協だ」と自分を納得させているわけ?

【トム】
何物も家庭と引き換えにはできないよ。

【メレディス】
してほしくないわ。
だから(あなたを)信じられるのよ。
失うものを持ってるからね。

失うモノが無い人は、怖い。
いつ何時、何について玉砕覚悟でやってくるか分からず、到底信じられない。
よって、失うモノが有る人は、信じられる「ことになる」。

「家庭を最重視し、失うことを最懸念しているからこそ、あなたが信じられる」。
メレディスの誘惑はかくして換言できよう。
この信憑性、普遍性に富む甘言に、現部下かつ元彼のトムが刹那とはいえ理性を失ったのは、とりわけ同性として同情する。
信憑性、普遍性に富む甘言は、怖い。



ディスクロージャー [DVD]
出演:マイケル・ダグラス、デミ・ムーア
監督:バリー・レビンソン 
ワーナー・ホーム・ビデオ
2013-11-06




kimio_memo at 07:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 映画 

2013年05月01日

【NHK教育】「先人たちの底力/知恵泉(ちえいず)新規プロジェクト必勝法/第3回杉田玄白」佐渡島庸平さん

【ナレーション】
翻訳開始から一年半余り、その頃には(「解体新書」の)大筋の翻訳は完成していました。
しかし、(杉田)玄白には心配事がありました。
それは、世の中の反応です。
西洋医学に馴染みが薄い人たちには、「解体新書」が受け入れられない可能性が高かったのです。
そこで、玄白は一計を案じます。
「解体新書」を出版する前に、あるものを作りました。
それが「解体約図」です。
これは、五枚一セットで出された、簡略な人体図です。
「解体新書」と違い、説明は最小限に抑え、体の全体像が一目で分かる様な表現に徹しています。

(中略)

玄白が狙ったのは、「チラ見せ」効果。
チラシを出すことで世の中の反応を事前リサーチすると同時に、人々に「解体新書」への興味心を抱かせようとしたのです。

【佐渡島庸平さん(※ゲスト)】
僕、仕事している中で、尊敬しているクリエイターから言われた言葉で凄い印象に残っているのがあって、僕は一生懸命面白いモノを作ろうとしてた訳ですよ。
そうしたら、「面白いモノを作るのは当たり前だ。そのあと、『面白そうなモノ』を作る所が一番大変で、そこに時間を割け」って言われたんですよ。
杉田玄白さんのやられたことって、世間の人が「面白そう!」って思っちゃうモノを作った訳じゃないですか。
それが凄いですね。

「『面白いモノ』より『面白そうなモノ』を創ることこそ、肝心かつ要注力だ」。
たしかに、佐渡島庸平さんが、尊敬するクリエイターから授かったこの言葉、思考は尤もだ。

この思考の本質は、「面白いモノ」を「良いモノ」に、「面白そうなモノ」を「良さそうなモノ」に各々換言すると、理解が進む。
例えば、今、ハイブリッド車がよく売れているのは、「環境に良い車」だからではなく、「環境に良さそうな車」だからだ。
かのトヨタが量産化を果たし、抜群の販売実績を収めていること、また、かのレオナルド・ディカプリオも乗っている(と報道されている)ことが、対象顧客に「環境に良さそうな車」と認知させ、強い購入動機を与えている。

私は、この思考から以下の三事項を再認識した。

一つ目は、「面白そう」や「良さそう」の本質は、非低次の潜在ニーズや希望が叶う予感である、ということだ。
テレビタレントが絶えず入れ替わるのは、彼らが軽薄で、忽ち視聴者に見限られてしまうからだ。

二つ目は、「面白そう」や「良さそう」の視座は、作り手や売り手のそれではなく、対象顧客のそれでなくてはいけない、ということだ。
楽屋でバカウケする芸人が売れないなのは、一般客の目には「面白そうな芸人」に映らないからだ。

三つ目は、家の中も外もモノ余りの今、対象顧客に売るべきは、モノの前にネタ、即ち、成果物の前に企画である、ということだ。
AKB48がかくも売れたのは、秋元康さんが、AKB48という企画の前に、AKB48のCDやライブチケットを売り急がなかったからだ。



★2013年4月16日放送分
http://www4.nhk.or.jp/chieizu/x/2013-04-16/31/21533/



kimio_memo at 08:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ