2012年06月

2012年06月25日

【BSTBS】「SONG TO SOUL 永遠の一曲」Billy Joel”Just the Way You Are”

【ナレーション】
大ヒットアルバム「ストレンジャー」、それは、ビリー・ジョエルの人生を変える作品となった。

(中略)

プロデューサー、フィル・ラモーンは、まるで魔法のようにビリーのアイデアを最高の形にしてみせた。
フィルは、ビリーと正に二人三脚で、アルバム作りをリードした。

【フィル・ラモーンさん】
私は自分の直感や本能を信じ、音楽のスピリットを大切にしている。

(中略)

【ナレーション】
完成したアルバムからは、先ずオープニングナンバーの「ムーヴィン・アウト/Movin' Out 」がシングルカットされた。



しかし、これは殆ど話題にならず、続くセカンドシングル「素顔のままで/Just the Way You Are」の大ヒットが、ビリーとこのアルバムの名を永遠のものにした。

ところが、実はビリーとバンドメンバーは、「素顔のままで」が大嫌いだったという。

【フィル・ラモーンさん】
「素顔のままで」は、とても苦労した。
私はいい曲だと思ったがビリー本人がメロウ過ぎるからと嫌っていたんだ。
はじめに、彼らは、嫌々ながら私に演奏して見せた。
私が気に入ったと言うと、ドラマーはスティックを投げつけんばかりに睨んだ。
彼らは、まるでウェディングバンドがやるみたいな、甘くて軟弱な歌だと思っていたんだ。

【ナレーション】
フィルは様々な手を尽くして、ビリーが捨てようとしていた曲を永遠のヒットチューンへと磨き上げていった。
ビリーとバンドは、それまでシンプルなエイトビートで演奏していた。
先ず、フィルは、基本となるリズムを変えた。

【フィル・ラモーンさん】
私は以前にブラジル音楽の仕事をしていたので、色々なリズムを知っていた。
リズムを変えるだけで、音楽は官能的になる。
だから、バイヨンのリズムに、サンバやボサノバを組み合わせて使ってみた。

バンドがテナー・サックスでやっていた間奏も、より幻想的なアルト・サックスに変えた。
演奏はジャズ・プレイヤーのフィル・ウッズ。
私はたびたび、ビリーの音楽にジャズを融合させたよ。

曲の途中に、まるでコーラスのように聞こえる音が入っている。
10ccのレコードが気に入っていたので、音を重ねていくサウンドにトライしてみたんだ。
ビリーの声だけを、いくつも重ねて作っていった。
彼に声の続く限り歌ってもらい、それを何度もリプレイして、1分間同じ音を持続させる。
その長い音を、1オクターブ分のすべてのキーで作った。
合わせてみると、この世のものとも思えない音ができたよ。

ビリーが弾くフェンダー・ローズには、ストーン・フェイザーというエフェクターをかけた。
それが曲の雰囲気を作っている。
私は音色を少し変えて、甘くなり過ぎるのを避けたんだ。

あの曲を作ってから30年経った。
今や、歴史になりつつある。
あの頃は、時を越えるものを作るなんて、思ってもいなかった。

正に「永遠の一曲」と言うべき「素顔のままで/Just the Way You Are」が、原曲の時点では、作曲したビリー・ジョエル自身から嫌われていたという挿話には驚愕したが、ヒット曲を作るというのは、また、成果物を世に出して成功させるというのは、こんなものなのかもしれない。

たしかに、音楽の場合、ヒット曲になるか否かは、原曲をいかにアレンジするかが大きい。
実際、松任谷正隆さんがアレンジしなければ、松任谷由美さんの大成功は無かったに違いない。
しかし、「素顔のままで」を作った時には、ビリーは既にヒット曲を世に出していた。
よって、この挿話が示唆することは、少なくとも二つある。

一つは、実績有るヒットメーカーでさえも、ヒット、成功のシーズ、可能性はわかり得ない、ということだ。
換言すれば、他者(大衆)が心底喜ぶモノか否か、彼らの心を惹いて止まないモノか否かは、作り手自身にはわかり得ない、ということだ。
やはり、人が自分、ないし、自分の成果物を客観するには限りがあり、成果物を世に出す時は、必ず信頼できる他者と協働し、彼らに客観を求め、それに従順であるべきだ。

もう一つは、後年「永遠の一曲」と言われるヒット作品、ヒット商品は、予め狙って作れるものではない、ということだ。
松本隆さんは「マーケティングで曲を作っても駄目(→ヒットしない)」と仰るが、そのココロは本事項に通底している。
やはり、ヒットメーカー足らん作り手が問われるべきは、それまでの生き様と培った知見に違いない。



★2012年6月19日放送分
http://w3.bs-tbs.co.jp/songtosoul/onair/onair_21.html

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kimio_memo at 07:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ 

2012年06月22日

【洋画】「エクソシスト」(1973)

〔ひと言感想〕
45才で初めて観ました。
幼少時、兄に恐怖シーンの雑誌記事を見せられ、当年迄観れなかった訳ですが(笑)、ホラー映画というより人間映画に感じました。
いつの世も人を惹くのは、本質より解決策に違いありません。


エクソシスト ディレクターズカット版 [DVD]
出演:リンダ・ブレア、エレン・バースティン、ジェイソン・ミラー、マックス・フォン・シドー
監督:ウィリアム・フリードキン 
ワーナー・ホーム・ビデオ
2010-11-03




kimio_memo at 07:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 映画 

2012年06月21日

【将棋】「先ちゃんの浮いたり沈んだり/中村太地六段の躍進と「春の珍事」」先崎学さん

P113
中村太地君といえば、この欄でも書いたが三月の末にふぐを御馳走したのだった。
もうすぐ棋聖になるかもしれないから、あの時御馳走しといてよかった。
まあ太地君と私ほど年齢が離れていると、タイトルのひとつやふたつくらいじゃ私が払うことになるかもしれないけれど。

私は若者のことを好青年と安易に言わないクチであるが、太地君は文字通り好青年である、
見るからに育ちが良さそうで、素直にすくすく生きてきたような雰囲気がある。
その感じが、以前は盤上でひ弱さとなって現れることもあったが、ここ一、二年でぐんと逞しくなった。
将棋が大人になった感じだ。

いずれにせよ、将来の将棋界を担うべき大器が大舞台に初見参するわけで、個人的にもおおいに注目している。
勝ったら、夏にはもでもオゴってもらおうかとかと思っている。
あれ?
前に書いたことと違うぞ。
まあいい、どっちが払うなんかどうでもいいじゃないか。
大事なのは、うまい酒を飲むこと、そのために日々精進することである。

本コラムは、中村太地六段のツイートで知った。
先崎学八段の文章は初見だったが、本意は言い得て妙かつ同感だ。
そうなのだ。
大事なことは、当事者も縁者もみな、酔うべき美酒に酔うべく、本分と自助の励みを絶やさない、ということだ。
成功とは、果たすべき人と支えるべき人の弛まぬ二人三脚の賜物だ。







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2012年06月18日

【BSTBS】「グリーンの教え」竹林隆光さん(フォーティーン創業者/ゴルフクラブデザイナー)

【竹林隆光さん】
先ず一番大事なことは、「調子の悪い時にクラブを変えない」。

【石川次郎さん】
調子の悪い時に変えない・・・

【竹林さん】
それは、プロゴルファーもアマチュアも一番難しいというか、間違える所なんですが、「調子が悪いから、クラブを変えて何とかしよう」と、ゴルファー100人居たら、100人そう思うでしょう。

【石川さん】
ああ、もう全くそうです。
それ、間違いですか?

【竹林さん】
「調子が悪い」ということは、「スイングが悪い」わけです。

【石川さん】
クラブが悪いわけじゃないですよね。

【竹林さん】
スイングが悪い時に、悪いスイングにもしもピッタリ合うクラブを見つけちゃったらば、そのことは、悪いスイングの学習をすることになってしまうんで。

【石川さん】
仰る通りですね。

【竹林さん】
だから、クラブ屋としては、「調子が悪い」というお客さんが来たらば、「じゃ、クラブ買い換えましょう!」って言いたいんですが、ゴルファーとしては、「少し練習をして、回復してからクラブを変えましょうって(言いたいんです)」。

【石川さん】
本来の調子というか、ちゃんとしたスイングができるようになってから、クラブを変えた方が良いわけですか。

【竹林さん】
はい。

ゴルフはビジネスに似ている。
スイングは「プロセス」に、そして、クラブは「ソリューション(解決策)」に置換できる。
「『調子が悪い』元凶は『プロセスが悪い(不正である)』からであり、不調を抜本的に解決するには、スイングを治す以外無い。
ゆえに、プロセスを治さず、ソリューションの新調で不調の解決を試みるのは間違いであり、そればかりか、プロセスを更に悪くし、不調の解決を遠のかせるに違いない」。
本事項は、正にソリューションプロバイダーである、ゴルフクラブデザイナーの竹林隆光さんのお言葉ゆえ、説得力に満ちている。

本事項は、相応のレベルのゴルファーやビジネスマンなら、既得の知識に違いない。
しかし、それを実践しているゴルファーやビジネスマンは、極めて少ない。
なぜなら、先ず、現在に至る自分の思考と行動を否定せざるを得ないからだ。

史上最強棋士の羽生善治さんの座右の銘は、「運命は勇者に微笑む」だ
運命は、自己否定の勇無き人には微笑まない。



★2012年5月26日放送分
http://w3.bs-tbs.co.jp/green/bn110.html



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2012年06月14日

【BSTBS】「みんな子どもだった/6月ゲスト秋元康さん第2話」秋元康さん

【倉本聰さん】
今の勘三郎さんと、行き着けの飯屋が一緒なので、時々会うのね。
一度ね、彼がね、中国から帰ってきた日の時だったの。
で、「ディズニーランド行ってきた」って言うんですよ。
で、「面白かった」って話をするんだけど、本当に面白いんだけど、ディズニーランドが面白いんじゃなくて、ディズニーランドって混むから、ここでパッと(入場者を)切るでしょ。
すると、切られた奴らが、その中国人が、すごく文句言うんだってさ。
で、その文句の言い方が面白いっていう話を延々とするわけですよ。
アンテナの張り所がね、違うんですよ。
目の付け所が。
人間の観察力の鋭さがね・・・

【秋元康さん】
役者魂ですよね。

【倉本さん】
役者魂みたいなもので、だから、アンテナの張り方が違うんだろうね。

【長峰由紀アナ】
それは、絶対自分の芸にどっかで活かされているんですよね。

【秋元康さん】
でも、そういうのは、倉本さんも無いですか?
例えば僕が昔のガールフレンドと別れる時にね、彼女から「あなたは欲しいモノが有り過ぎるよの」って言われた時に、「いい言葉だな」って(笑)、それとは関係なく反射的に、恋愛の最後に、「『あなたは欲しいモノが有り過ぎるよの』っていう台詞いい台詞だな」とかっていう客観性があったりしませんか?

【倉本さん】
あります。

【秋元さん】
ありますよね。

【倉本さん】
必ずどこかで、見てる自分が居ますね。

(中略)

【秋元さん】
多分、(世の中には)色んなタイプの人間が居て、例えば、とんねるずの石橋君って、すっごい記憶力が良くて、「あの時、こうで、こうで・・・」って、それが小学校の時でも、子どもの頃のこととか、全部記憶しているんですよ。
僕は、殆ど記憶していないですよ。
だから、小学校の同窓会行っても、中学の同窓会行っても、「あの時、秋元がこうで、こうで・・・」(と友だちが述懐しても)、全然思い出せないですよ。

【長峰アナ】
何ででしょう。

【秋元さん】
それはね基本的に興味が無いからですよね。
「過去」よりも「次やりたいこと」の方が(興味が有るんですよね)。
だから母に昔に言われたのが、「遊園地に行って、あなたは乗り物に乗っている時に乗り物を楽しんでない」、と。
「次の乗り物何乗ろうかと見ている」、と。
たしかに、そうかもしれないと(思いましたね)。

秋元康さんが母堂から、「遊園地に行って、あなたは乗り物に乗っている時に、既に次に何の乗り物に乗ろうか考えている」旨指摘された話に多々考えさせられた。

たしかに、秋元さんのような「デキる人」にとって、今はもはや過去で、惹かれるべきは未来なのだろう。
そして、絶えず未来に惹かれるからして、過去は基本「興味の対象外」で、記憶に留まらないのだろう。
しかし、誤りを恐れず妄想すれば、秋元さんにとって過去は、「興味の対象外」というより、「用済みの興味」ではないか。

恋人との別れ話のエピソードから窺えるのは、秋元さんは、他人に限らず自分の人生をも不断に客観する習性と才に長けている、ということだ。
秋元さんは、自他の刹那を絶えず自分事ではなく他人事として俯瞰し、その刹那の何たるか、即ち、「人生の抽象」を冷徹かつ誤解を恐れず読み解く、つまり、「推断する」のではないか。
だから、秋元さんにとって、人生の抽象を推断した興味の対象、即ち、興味の具体は、推断後はもはや用済みで、敢えて記憶に留める必要を感じない、結果、記憶に留まらない、のではないか。

秋元さんのようなデキる人とは、案出、実行する問題解決策が高確率で成功する人、つまり、「打率」が高い人のことだ。
そして、彼らの内、自分の過去に疎い、即ち、過去をあまり記憶していないとか、記憶していても正確でない人は、秋元さんに限らず少なくないが、この妄想が相応に正しければ(笑)、合点が行く。

それは、こういうことだ。
なぜ、デキる人は打率が高く、過去に疎いのか。
それは、彼らが、自他の刹那に抱いた興味の正体を「人生の抽象」として迅速に推断、「成功の方程式」化し、引き出しから臨機応変に引き出せるからではないか。
ゆえに、彼らは、一度やったことは、次回も高確率でヒットが打てそうでも、そのままでは二度とやらないし、もはや興味を覚えない、記憶に無いのではないか。



★2012年6月10日放送分
http://w3.bs-tbs.co.jp/minnakodomo/archive/201206.html

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kimio_memo at 08:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ 

2012年06月12日

【BSTBS】「SONG TO SOUL 永遠の一曲」Cyndi Lauper”Time After Time”

【シンディ・ローパーさん】
時を超え、古びない曲を書きたかったの。
私のキャリアの中で意味のあるものを創りたかった。
デビューアルバムを作った頃の私は、他人とは随分違っていたわ。
あの曲(Time After Time/タイム・アフター・タイム)にはユーモアもあるけれど、内容は本物の人生から生まれている。
それが、私にはとても大切なの。
あの歌詞は誰にでもわかるような言葉で、実生活の本当の出来事から書かれたものだった。
私は聞き捨てられるような歌は書きたくないのよ。

(中略)

自分の気持ちに合う言葉に出会ったら、いつでも書きとめるようにしていたの。
あの曲は本当に当時の様々な出来事からできている。
実生活で積み上げた言葉が詩になった。
ロブ(※)も恋人と別れたばかりだったし。
この曲は人生の断片をカードにして張り合わせたようなものなのよ。
(※アレンジ・キーボード担当のロブ・ハイマン)

(中略)

ドラムサウンドなどは、モダンな要素も入っている。
でも、曲全体のサウンドを流行りの音にするのは嫌だったの。
目指したのは、オーガニックな音とマシンっぽい音が融合している感じ。
だって、人間ってそうだから。
オーガニックな部分もマシンの部分もあるわ。

(中略)

曲を作る時私のやり方は、音で聴く人の傍に忍び寄り、こうして虜にする。
催眠術みたいなものよ。
それで心地よくなったところで、こちらの気持ちや物語を打ち明けるの。
その時、聴く人と私はひとつになる。
あの曲でもそれができたと思う。

顧客は それもとりわけ先進国の顧客は、もはや「物」は欲しくない。
欲しいのは、「物の語り」、即ち、「物語」、「ストーリー」だ。
だから、商品開発のプロセスを感動仕立てで物語る「プロジェクトX」や「プロフェッショナル」は人気があり、物語られた商品は放送翌日に売り切れるわけだ。(笑)

しかし、感動的な物語を創造、付与すれば必ず物は売れるかというと、そう簡単ではない。
先進国の顧客は、とりわけ「感動慣れ」しており、単純に、かつて聞いたような物語をかつてと同様のアプローチ、文脈で聞かされても、辟易、スルーするだけだ。

では、私たちは先進国の顧客に向け、いかに物語を創造、付与すべきなのか。
シンディ・ローパーさんのインタビューコメントには、このヒントが詰まっている。
これらのヒントから私がとりわけ強く(再)認識させられた「物語りの心得」は、以下の二事項だ。

一つは、「先ず、顧客の傍に心地よく忍び寄るべし」ということだ。
顧客には先ず、物語りに、ひいては、物語りの主と声に真摯に耳を傾けていただく、胸襟を開いていただくことが欠かせないのだ。
冒頭に行なうべきアイスブレイクのプロセスは、営業そのものに限らず、その中の物語りのプロセスにおいても、有効かつ不可欠なのだ。
私たちは、シンディさんにとっての「音」に匹敵する何かを、平生準備しておく必要がある。

もう一つは、「顧客が容易に聞き捨てられないコト、聞き捨て難いコトを物語るべし」ということだ。
「人は、『自分が聞きたいコト』だけを聞く」と言うが、「(積極的に)聞きたいコト」と「聞き捨て難いコト」は必ずしも同一ではない。
凡そ、前者は真実や希望の具体である一方、後者は抽象であり、その多くは胸の奥に在る。
「聞き捨て難いコト」を適宜見つけるには、顧客の一層の対象化(セグメンテーション/絞り込み)とニーズ把握が欠かせないが、その前に、自分の人生の断片を見逃さず、その何たるかを読み解き、身近にストックしておくことが欠かせない。
私たちは、シンディさんのように、掛け替えのない人生を絶えず正視、客観する必要がある。



★2012年5月29日放送分
http://w3.bs-tbs.co.jp/songtosoul/onair/onair_41.html

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kimio_memo at 07:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ 

2012年06月11日

【経営】「小倉昌男 経営学」小倉昌男さん

P131
サービスとコストは常にトレードオフ(二律背反)の関係にある。
サービス水準を上げればコストは上がり、コストを抑えればサービス水準も下がる。
経営者の仕事とは、この問題を頭に入れ、そのときそのときでどちらを優先するかを決断することに他ならない。

(中略)

サービスの向上はプラスだが、コストが上がるのはマイナスである。
こういう二律背反の条件は、経営していると常にぶつかる問題である。
プラス要素とマイナス要素を比較検討して、差し引きプラスなら営業所の新規設置は実行する、というのが公式的な答えかもしれない。
ただ、果たしてそれが正解だろうか。

サービス向上によるプラス効果は、売上高の増加という形でつかめる。
だが、売り上げを左右する要件はさまざまあって、正確にどの程度効果があったのかを測るのは難しい。
一方、コストの増加は数値として割と正確に把握できる。
しかし、そのデータを揃える社員の給料や、それを検討する役員、幹部社員の時間を考えると、かえってコスト高を招くように思える。

だからこそ、宅急便を開始したときに業務会議で「これからは収支のことは一切言わない。その代わりサービスのことは厳しく追及する」と強調したのである。

実はそのとき、私はひとつの標語を強調したのである。

「サービスが先利益は後」

これからはこのモットーを金科玉条として守って欲しい、と私は宣言したのである。

営業所を新設したらプラスかマイナスか。
そんなことは激論の余地のない問題である。
宅急便を始めた以上、荷物の密度がある線以上になれば黒字になり、ある線以下ならば赤字になる。
したがって荷物の密度をできるだけ早く”濃く”するのは至上命令である。
そのためには、サービスを向上して差別化を図らなければならない。
コストが上がるから止める、というのはこの場合、考え方としておかしい。
サービスとコストはトレードオフだが、両方の条件を比較検討して選択するという問題ではない。
どちらを優先するかの判断の問題なのである。

だから、手間ひまかけてメリットやコストの計算をするのはやめてほしい。
それよりも、サービスを向上するためにはどうしたらよいか、それだけを考え、実行してほしいーー。
私は皆にそう訴えた。
そこで「サービスが先、利益は後」のモットーを作ったわけである。


P13
私は、センターを作るならばどんな過疎地でも(配属車両は)最低五台は必要だと思い、そう指導してきた。
つまり、東西南北に各一台、そして中央に一台、合計五台である。
仮に二台だとすると、東と西のお客様は朝一番に荷物が配達になるが、南と北のお客様は、東と西の車が最初の地域が終わってから回ってくるのだから午後になってしまう。
もう二台車が配属されていれば、南と北のお客様も朝から配達できるわけである。

お客様もよく知っていて、サービスが向上すればただちに良い反応があり、取り扱う荷物も増える。

(中略)

センターを新設するにあたり、集配車両一台当たりの取扱い予想個数を調べ、荷物一個当たりのコストを計算するのは、大変な仕事である。
だいたい予測数値というのはかなり不確かな場合が多い。
まったく新しい地域でこれまでなかった新しいサービスを開始するのだから、開業後の見込みなどかなりあてずっぽうだし、日を重ねるにつれてどんどん変わるものなのである。
コストは毎日変わるもの、というのが私の考え方であった。

コストを考えて計画を立ててもしようがないのであって、良いサービスを提供するにはどうしたらよいか、を考える以外にない。
そこで、トン、ナン、シャ、ペイ、チュン、だから五台だよ、という考え方が通るのである。

荷物がなくとも、毎日五台の宅急便の車がその地域内を走っていれば、宣伝になるし、荷物を出す気にもなる。
あっ、宅急便の車が峠を下りてきた、じゃあそろそろ十時頃だろう、と地元の人に言われるようになればしめたものだ。

事実、過疎地にセンターを新設して一年くらい経つと、当初は少しの荷物しか積んでいなかった車が、五台になっても十台になっても必ず荷物を一杯積んで走るようになった。
「車が先荷物は後」は経験的に自信をもって言えるのである。


P139
前記二社はもともと官営だから、(ヤマト運輸は)純然たる民間企業の中では、日本でもっとも社員数の多い上場企業といえる。

いずれにしろたいへんな増え方だが、これは増えたのではない、増やしたのである。

運送業者がサービスを良くするのは簡単である。
社員を増やせばよい。
運送業は、労働集約産業であるから、人員を増やせばすぐにサービスは改善される。
従業員の大半はトラック運転手であるから、人員を増やすためにはその人が運転するトラックを増やす必要がある。
車両と人員が増加すれば、荷主の要請があったとき、すぐにそれに応えることができるからである。

宅急便の場合も同様だ。
人員を増やすと集配の戦力が増強される。
そうすると取り扱う荷物の数が飛躍的に増えるのである。

(中略)

正に「社員が先荷物は後」である。

物事にはどんなものにも、メリットとデメリットの両面がある。
人の問題でもメリットとデメリットの両面がある。

人員が増えると、人件費が増えるといって警戒する経営者が多い。
それは人のデメリットに着目した考え方である。
経営の健全化とか経営のリストラというと、社員の削減が施策の中心となっていることが多いが、私はそのことに常に疑問を感じている。

そもそも企業は、なぜ社員を雇っているのだろうか。

それは、製造とか販売とか、企業の本来やるべき業務を遂行するためである。
そこで社員には、ものを作ったり売ったりする能力を発揮することが求められる。
最近は自動化といって、人の働きを機械に置き換える傾向が強いが、人でなければできないことや、人でやるほうが良いものはたくさんある。
企業の生産性を高め、能力を発揮するのが、人の働きの最大のメリットであり、それが人の問題の中心でなければならない。

人員が増えると人件費が増えるというデメリットは結果であって、その前に生産性が上がる、収入が増える、というメリットがあるはずである。
もちろんメリットがなければ人を増やす必要はない。
だが、人件費が増えるのは嫌だといって人を増やさなかったら、企業の活力は失われてしまうだろう。

企業経営において、人の問題は最も重要な課題である。
企業が社会的な存在として認められるのは、人の働きがあるからである。
人の働きはどうでもいいから、投資した資金の効率のみを求めたいという事業家は、事業家をやめた方がいいと思う。
事業を行なう以上、社員の働きをもって社会に貢献するものでなければ、企業が社会的に存在する意味がないと思うのである。

私が唱える「サービスが先、利益は後」という言葉は、利益はいらないと言っているのではない。
先に利益のことを考えるのをやめ、まず良いサービスを提供することに懸命の努力をすれば、結果として利益は必ずついてくる。
それがこの言葉の本意である。

利益のことばかり考えていれば、サービスはほどほどでよいと思うようになり、サービスの差別化などはできない。
となると、収入も増えない。
よって利益はいつまでたっても出ない。
こんな悪循環を招くだけである。

つまり、どちらを先に考えるかで、結果は良くも悪くもなる。
経営には常にトレードオフの問題がある。
それに対する正しい対応を考えるのが、経営者の大きな責任であると思う。

ただし、「サービスが先、利益は後」という言葉を、社長が言わずに課長が言うと、そこの社長に、「お前は利益はなくても構わないと言うのか」とこっぴどく叱られるおそれがある。
だからこそ、逆に社長が言わなければならない言葉なのである。


P143
(労働基準監督署から)模範的で参考にしろと言われた事業所は、木工の工場であった。
静岡は木工業が盛んだが、製材機による事故の多い業種でもある。
運送業に参考になるかなと疑問もあったが、せっかくの話を無視するのも悪いと思い、訪問させてもらった。

大した設備のある工場でもないし、安全のために大袈裟な投資をしている様子もなかったが、その工場の経営者の話を聞いて私は感銘した。

安全は、要するに経営者の心構えによるところが多い。
それが彼の意見であった。
工場には大きな緑十字の旗が飾られていた。
それはどこでも見る光景である。
違うのは、壁一杯に大きな字で、「安全第一、能率第二」と書いた紙が張ってあったことである。

工場の経営者はこう言った。

ーー前は、本当に労災事故が多かった。
でも、人命の尊さを考えたとき、何としても事故を減らさなければならない。
それで考えたのは、能率を上げることだけを言っているうちは事故はなくならないだろうということだったーー。

その気持ちを表すために、「安全第一、能率第二」という標語を工場内に掲げた。
時間が経つにつれて安全の実績は徐々に上がったが、能率は決して落ちなかったという。
「安全も能率も、どちらもしっかりやれと言っていた時分は、結局どちらも中途半端でしたね」との工場経営者の言葉は、胸に響くものがあった。
監督署長が見学してこいと言ったのは、このことだったのだと納得がいったのである。

工場から戻ってきた私は早速、(当時出向してきた)静岡運輸の幹部を集めて、これからは「安全第一営業第二」をモットーにして仕事をやることを宣言した。

(中略)

労働災害の原因の一つに過重労働がある。
それは間違いなかった。
だから労災事故を減らすには、長時間残業や深夜労働などで従業員に重い負担を強いるのを避ける必要がある。
要は、いくら営業からの要請があっても、過重労働になる仕事は断りなさいというのが「安全第一、営業第二」のモットーを作った狙いであった。
具体的には、トンボ(返り)をやめさせる。
それがとりあえずの目標であった。

私は、会社のいろいろな壁に「安全第一、営業第二」のポスターを貼らせた。
営業を第二とすることで、本当の第一は安全であることを強調したのである。
労災事故は、少しずつ減っていった。
にもかかわらず、営業のほうはむしろ活発になっていった。

(中略)

どんな工場にいっても「安全第一」の標語が掲げられていないところはない。
しかし安全第一の言葉は、マンネリの代名詞のようなもので、どれだけ実効を上げているか疑問である。
というのも、第二がないからである。

毎年、期の始めになると売上高の目標は対前年10%増と示され、絶対に目標を達成せよと厳命が下される。
半期が終わり、売り上げはそこそこ目標に近づいたが、営業利益が目標より低いと、売り上げは多少足りなくなってもいいから、利益率の低い仕事はやめ、利益の目標は達成せよと指令が下りる。

安全月間になるともちろん”安全第一”の号令が下る。
製品のクレームが来ると、品質第一で頑張れと命令が下る。
とにかく何でも”第一”の命令が好きな社長は多い。

だが”第二”がなく、”第一”ばかりあるということは、本当の第一がない、ということを表していないだろうか。

何でも”第一”の社長は「戦術レベル」の社長である。
うちの会社の現状では何が第一で、何が第二、とはっきり指示できる社長は「戦略的レベル」の社長である。

社長の役目は、会社の現状を正しく分析し、何を重点として取り上げなければならないかを選択し、それを論理的に説明すること。
つまり戦略的思考をすることに尽きると思う。


P182
以前は配達に行ったとき、残念ながら荷物に破損があったら、SD(セールスドライバー)はまずセンター長に報告し、センター長がお詫びをするとともに損害額を調べることになっていた。
壊れた荷物の価格はいったいいくらなのか聞くわけである。
センター長は少しでも損害額を少なくしたいから、お客様と折衝して金額を決める。
結論が出ると上司の支店長に報告をして、承認を仰ぐ。
時間が過ぎ、わけなく三週間、一ヶ月が経っていく。
これでは、お客様は、事故の発生自体はあきらめても、解決までに時間がかかったことに怒りだしてしまうだろう。

SDの荷物事故の権限を三十万円までに広げたとき、私はSDをセンター長に次のように指導した。
これからは事故を発見したら、翌日にはSDが現金を持ってお詫びに行き、即時に解決してほしい。
そうすれば、事故の起きたことは仕方ないとしても、お客様は解決のための誠意を汲んで許して下さるだろう。
しかも、損害は小さくなるーー。

この損害が小さくなるという点が、よくわからなかったらしい。
時間をかけて折衝すれば、損害額はいくらか安くなるかもしれない、という声が多かった。
そこで再度説明した。
つまりお客様の示した金額を信用して翌日SDが支払えば、損害額はその荷物の価格で済む。
もしセンター長が一月もかけて折衝したら、損害額はその荷物の価格にプラスして、センター長の給料、更に上司の支店長の給料が上乗せされることになるではないか。
だからSDが翌日お客様に支払うのが一番安上がりである、と。


P214
最近、業態化ということが盛んにいわれるようになった。
昔は、業種は何かというだけであったが、今では同じ業種の中に、違うものがいくつもできてきたため、業態の違いをはっきりさせることが必要になったからである。

(中略)

業態化ということがいわれたのは、小売業に始まると思う。

まず最初に注目されたのが、大規模小売店、とりわけスーパーマーケットという業態である。

スーパーマーケットは、流通革命のかけ声に乗って華々しく登場した。
大量生産と大量消費を結ぶ大量流通の担い手として、小売価格の設定権を持つことを目標にしながら、次々に店舗を拡大した。
各地で地元小売店と競争し、スーパーマーケットは正に革命的な勝利を収めていった。

大量仕入れ、大量販売により大幅な価格の引き下げを可能にする。
大規模小売店という業態の徹底がスーパーマーケットの繁栄をもたらしたのである。

それから半世紀近く経ち、各地に乱立したスーパーは、過当競争の結果、業績の悪化を招き、撤退するところも出てきた。

一方でのし上がってきた新しい業態があった。
コンビニエンスストアである。

その多くがスーパーの子会社としてスタートしたコンビニエンスストアは、何千というチェーン店舗を拡大し、今や流通の主役として、スーパーを凌ぐ巨大企業に成長した。

その裏にあるのが、特異な業態の展開である。
極めて狭い商圏を抑えるための多店舗化。
狭い店舗効率を高めるための多品目の品揃えと絶え間なき品目の入れ替え。
二十四時間営業と年中無休の営業態勢。
一日に数回の多頻度の商品補充システム。
少数店員による店頭販売。
コンビニエンス(便利さ)を具現化するための業態化の徹底が、激しい競争を展開する小売業界における圧倒的な勝因となっているのである。

(中略)

このように業態化とは営業の対象を絞り、サービスとコストにおいて競争相手に決定的な差をつけることを目標として、徹底した効率化を図ることである。

(中略)

宅急便の業態化を推し進める各システムの構築は、ウォークスルー車においても、自動仕分け装置でも、情報システムでも、専門家の力は借りてきたものの、基本的にすべてヤマト運輸の社員が考え、作り上げ、手直ししてきた。
業態というものは、人に教えてもらうものではなく、すべて自分に合ったものを手作りしていかなければならないものである。(P228)


P272
経営者にとって一番必要な条件は、論理的に考える力を持っていることである。
なぜなら、経営は論理の積み重ねだからである。

経営にはいろいろな場面で計画が必要である。
そして計画を立てるには、予測をしなければならない。
その予測があたるか、当たらないか。
経営者にとって鼎(かなえ)の軽重を問われる場面である。

前提条件があり、与件が与えられ、目標が決められ、行動に移す。
そして、期待した通りの結果が出るかどうか。
それは、経営者の読みが深いか浅いかにかかっている。

読みが浅いとか深いというのは、どれだけ与件を考慮したかによる。
なるべくたくさんの与件を考慮し、その重みづけが間違っていなかったら、正しい予測は可能なはずであるが、それが往々にして間違うのは、人間にかかわる与件は、常に不確実な要素を含んでいるからである。

人間の心は常に動いており、また外からは測りがたいものがある。
また、時と所によって、人間の心は違う反応を起こすものである。
人にはそれぞれ好みがあるが、それも流行によって左右されるし、将来の不安があれば考え方も変わってくる。

ただ経営における予測は、それほど難しいものではない。
事前に計画の段階だけでなく、実施に移った後に、試行錯誤しながら条件を変化させてゆき、微調整をしながら計測していけば、そんなに違いなく結果を予測できるものである。
むしろ試行錯誤のやり方が大事なのである。

(中略)

要するに、自分の頭で考えないで他人の真似をするのが、経営者として一番危険な人なのである。
論理の反対は情緒である。
情緒的にものを考える人は経営者には向かない。

論理的に考える人は、その結論を導き出した経緯について、筋道立てて説明することができる。
また説明をしているうちに、考え方を論理的に整理することもある。
他に対して説明する能力も、経営者にとって大事な資質である。

「私たちの今の生活があるのは、先人が”この”モノ、サービス、商品を創ってくれたお陰に違いない」。
こう思わずにいられないモノ、サービス、商品の一つは、本書の著者の小倉昌男さんが創造くださった宅急便だ。
宅急便は、もはや今、水道、電気、ガス、コンビニ、郵便、電車、電話、インターネットと同様、除外不能な社会インフラだ。
本書を読むと、なぜ宅急便が除外不能な社会インフラに成り得たか、そして、いかにして事業を新規に起こすか、いかにして企業を経営するか、がそれぞれ得心できる。
本書は、歴史に残る経営の名著だ。

なぜ、宅急便なる新商品、新業態、新規事業は大成功を果たしたのか。
なぜ、ヤマト運輸(現:ヤマトホールディングス)は大発展を遂げたのか。
これらの問いの一番の答えは「経営者小倉昌男」の秀逸な論理と高邁な矜持だ。
経営トップとして小倉さんが、宅急便の成立と発展の要諦を「サービスレベルの向上に拠る近似、競合商品との飽くなき差別化(→顧客期待の良い意味での不断の裏切り)」と思考しサービスが先、利益は後」、「車が先、荷物は後」、「社員が先、荷物は後」、「安全第一、営業第二」と社員宛英断なさったからだ。
もしも、小倉さんの思考ないし論理が脆弱であったら、また、小倉さんの矜持ないし英断に揺るぎが有ったら、まだ見ぬ宅急便に、ヒヨッコ同然の宅急便に自分の未来を賭けた社員は皆無だったのではないか。
論理と矜持に基づく計画と決断、そして、その説得と責任こそ、経営者の本分に違いない。



小倉昌男 経営学
小倉 昌男
日経BP社
1999-10




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2012年06月10日

【講演】「ヤマトグループを支えるITの活用と進化」木川眞さん(ヤマトホールディングス株式会社代表取締役社長)

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現在、当社は、14万人の社員で、年間21億個の荷物を送っている。
たしかに、かくなる膨大な荷物を高価値で送るには、高効率なネットワーク(配送システム)とITが不可欠だ。
しかし当社がここまで事業を拡大できたのは、とりわけ「荷物の送り手」ではなく「荷物の受け取り手」の利便性を徹底的に追及し、「ゴルフ宅急便」、「クール宅急便」、「受け取り時間帯指定」といった新製品を不断に開発していったからだ。
これは、実際に料金をお支払いくださるのは「荷物の送り手」であり、ユニークだが結果、「手ぶらの文化」や「産地直送の食の文化」を創造することもできた。

もとより日本は、人口の減少と市場の飽和が不可避だ。
そこで、当社は、2005年に持ち株会社へ移行し、ノンデリバリー事業への投資を可能な体制にした。
そして、以来、事業構造改革、業務基盤改革、意識改革を実行している。

事業構造改革には、たとえば「当日配送」がある。
これは、コンビニや勤務先での受け取りも可能にするなど、これまで構築したネットワークを抜本的に変える必要があったが、企業は一層の在庫削減が可能になり、一般のお客さまも満足度が向上した。
たしかに、コストはかかり、競合企業から揶揄もされた。
しかし、それらが実現できたほか、セールスドライバーも運び直しのコストを減らすことができ、当社にも利が十分にあった。
サービスレベルとコストは必ずしもトレードオフではない。

業務基盤改革には、たとえば「業務作業の標準化」」がある。
これはとりわけベテランには不評だったが、生産性を向上させるには、新人もベテランも同様に高生産性で業務を遂行する必要があり、有効だ。

意識改革には、たとえば「褒める文化の導入」がある。
私たちのビジネスは、詰るところ人だ。
いかに高価値な製品を作ってもいかに高効率なネットワーク、ITシステムを構築しても、最後にお客さまに荷物をお届けした際に粗相があればジ・エンドだ。
つまり、いかにヤマトの社員一人一人がお客さまの前で本気で、適切に行動できるかが最重要だ、ということだ。
当社のビジネスは、もはや社会インフラでもあり、彼ら一人一人がヤマトの顔だ。
しかし、この業界には古くから「叱(って育て)る」文化が有り、社員のそうした行動を少なからず妨げていた。
そこで、私は新たに「褒める文化」を導入し、社員のそうした行動を促進、奨励している。

具体的には、「満足バンク」なるシステムをイントラに設け、社員間で褒め合い、それをポイントでストックする。
そして、私から直接ポイントの多い順に金、銀、銅メダルを授与し、褒賞している。
現在98%の社員がポイントを保有しており、進捗は悪くない。
これもITの成果だ。
ITは、「使われる」のはなく、「(使いこなして)乗り越える」べきものだ。

本講演を知ったのは勝又清和六段の告知だったが、私は、偶然数日前から、ヤマトホールディングスの祖、ヤマト運輸で社長を務め「クロネコヤマトの宅急便」こと宅急便を創造なさった小倉昌男さんの著書「小倉昌男 経営学」を読んでいた。
本書は「経営者小倉昌男」の秀逸な論理と高邁な矜持が満載の、本人解説による最高のケーススタディで、思考と感銘を覚える所が多々有った。
それは、本講演も同様だった。
以下の四事項は、その最たるだ。

【1】商品開発は、真の(=最優先すべき)顧客とその満足内容を正確に特定して行なわなければいけない。


木川眞社長は、「今日のヤマトの発展は、『荷物の送り手』ではなく『荷物の受け取り手』の利便性を徹底的に追及し、『ゴルフ宅急便』、『クール宅急便』、『受け取り時間帯指定』といった新商品を不断に開発していったからである」旨仰ったが、これは言うほど簡単ではない。
なぜなら、同社、並びに、同社の事業の直接の収益源、対象顧客は、「荷物の受け取り手」ではなく「荷物の送り手」であり、短期的には、「荷物の受け取り手」の利便性ではなく、「荷物の送り手」の利便性とコスト低減を優先追求した方が確実に儲かるからだ。
小倉昌男元社長は、先述の自著「小倉昌男 経営学」の中で、宅急便を開始して早々「サービスが先、利益は後」と社内で宣言し、ヤマト運輸は、そして、ヤマト運輸の自分たちは何を志向し、そのためには何を優先(実現)すべきか、目標、戦略、戦術の具体、関係性、優先順位を、他の取締役以下全社員宛明確に周知啓蒙した旨を述懐なさっている。
ヤマト運輸、ないし、ヤマトグループの商品開発は、持続的かつ中長期的な成功と発展を最優先(希求)する機能と進捗であり、また、その論理を終生固持なさった小倉昌男元社長の遺伝に違いない。
もし、テレビや新聞などのマスメディアが、同社の商品開発の爪の垢を煎じて飲み、宅急便の誕生来、広告主の短期的収益向上ではなく、視聴者、購読者の中長期的啓蒙を優先させていれば、現在の苦境は免れていたのではないか。

【2】商品開発の真の成否は、新しい生活文化の創造の成否で決まる。

木川さんは、「『荷物の受け取り手』の利便性、満足を徹底追求した新商品を不断に創造し、『手ぶらの文化』や『産地直送の食の文化』を創造することもできた」旨仰ったが、これは同社の商品開発が真に成功した証左だ。
商品開発の眼目は、対象顧客が対価交換を希求する価値の創造だが、その真の成否は、創造した価値が対象顧客の生活を、ひいては、社会の新しい文化を創造できたか否かで決まる。
そして、だからこそ、他にはアップルなど、商品開発の優れた企業は悉く、顧客には愛され、社会には称えられる。
昨今、社会企業家(起業家)がもてはやされているが、そうした企業の経営者と社員も、十分社会企業家足り得るのではないか。

【3】コスト削減の最たるは、サービスレベルの向上である。

木川さんは、「サービスレベルとコストは、必ずしもトレードオフではない」旨仰ったが、これは、企業に限らず、政府、地方自治体など、過剰コンプライアンス(に拠るコスト高騰)が問題視される今、いよいよ尤もだ。
今、顧客は高レベルのサービスに慣れっこになっており、企業が予想する以上に失望し易い。
顧客の失望は、対象顧客から除外しない限り、補償、回復しなければいけない。
顧客の失望を回復するコストは、顧客の満足を醸成するコストの倍では済まない。
よって、企業は、顧客の失望を回復することにコストを投じるなら、予め経営に支障が無い範囲でサービスを然るべきレベルまで引き上げ、顧客の失望を抑制し、かつ、顧客の満足を、更には感動を醸成することコストを投じる方が、中長期的には有効かつ賢明だ。
「過剰サービス」と「感動サービス」は紙一重だが、「攻撃は最大の防御なり」という言葉があるように、サービスレベルの向上はコスト削減の最たるだ。
企業がコストを優先投下すべきは優先強化すべきは、いよいよ「お客さま相談窓口」ではなく「売り場」だ。

【4】企業の生死は、「ラストワンマイル」で決まる。

木川さんは、「いかに高価値な商品を作っても、いかに高効率なネットワーク、ITシステムを構築しても、最後にお客さまに荷物をお届けした際に粗相があればジ・エンドであり、最重視すべきは、いかにヤマトの顔である社員一人一人がお客さまの前で本気で、適切に行動できるかだ」旨仰ったが、これは完全同意だ。
なぜなら、もはや今、顧客は、自分を個客として気持ち良くもてなしてくれる人と企業からしか商品を買わないからだ。
「企業がコストを優先投下、優先強化すべきは『売り場』だ」と先述したが、それは本事項にも確然と通じる。
ここで述べた「売り場」とは、「顧客との第一接点」であり、インターネットで言う「ラストワンマイル」だ。
インターネットも、いかにユーザーの周囲を高速で動いていようと、ラストワンマイルでユーザーのデバイスに容易かつ快適に繋がらなければ、同様にジ・エンドだ。
ラストワンマイルを不断に強化できない企業は、コストの増加に加え、顧客の離反も免れない。
企業の生死は、「ラストワンマイル」で決まる。
企業が生を長く保つには、小倉昌男元社長が仰っていたように、「サービスが先、利益は後」以外有り得ない



★2012年6月7日公開シンポジウム「人とITとの共創」(於:明治大学アカデミーコモン)にて催行
※木川眞社長の言は意訳。
http://www.jasmin.jp/jp/pr/social/event/20120607/index.html

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kimio_memo at 06:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 講演/セミナー 

2012年06月09日

【講演】「将棋プログラムBonanzaの仕組み」保木邦仁さん(電気通信大学先端領域教育研究センター特任助教)

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私は、将棋を小学校低学年で覚えたが、その後、任天堂のスーパーファミコンに嵌(はま)ってしまった。(笑)
しかし、そんな私でも、今このようにITを使えば、(前段に登場した)勝又プロとも将棋を指すことができる。(笑)

将棋の要所は、「好手を指すこと」ではなく「悪手を指さないこと」、即ち、「間違わないこと」だ。
コンピューターは、ハードとデータの質量が十分、かつ、プログラムが適切であれば、「間違わない」。
人間とは異なり、いかに時間が経とうと、どんな状況であろうと、疲れない、緊張しない、余計なこと、とりわけ邪念(笑)を考えない。
だから、小学生時分に将棋を休学なさった(笑)保木邦仁さんでも、コンピューターと、Bonanza(ボナンザ)と一緒なら、プロ棋士と十分渡り合える。

経験値や能力は低いがコンピュータと一緒なら、プロと十分渡り合える、ないし、時にプロを凌駕できるのは、将棋のほか何が有り得るか。
間違い(笑)を怖れず妄想すれば、経営や政治は有り得るのではないか。

経営者や政治家の務めは、突き詰めれば、意思決定だ。
たしかに、彼らも、自分がアイデアを唯一発案し、その是非を自分一人で評価し、実行を独断する(=一人で意思決定する)ことはある。
しかし、多くは、他者が発案した複数のアイデアを評価し、最善のそれを選出し、実行を意思決定するだけで、アイデアの発案が複数の他者に拠ることを除けば、将棋を指すのと変わらない。

経営者や政治家の意思決定で最も大事なのは、最善のアイデアを選出、実行することではない。
「致命的なアイデア」を選出しない、即ち、「大悪手」を指さない、意思決定を致命的に間違わない、ことだ。
アイデアの選出を致命的に間違ってしまえば、取り返しがつかず、企業なら倒産を免れない。

間違い(笑)を怖れず改めて妄想すれば、「コンピューター経営」や「コンピューター政治」の創造は、思っている以上に容易かつ有効ではないか。
なぜなら、「コンピューター将棋」が過去の膨大な対局データをベースに「王様を詰ますこと」から帰納してプログラミングされているように、「コンピューター経営」は「企業価値を最大化すること」から、「コンピューター政治」は「GDPを最大化すること」から、それぞれ過去の膨大なデータをベースに帰納してプログラミングすれば、凡そ事足りるのではないか。

たしかに、そもそも経営も政治も、将棋とは異なり不完全情報ゲームで、必勝法も最善手も有り得ないのは勿論、不確実性が少なくない。
しかし、旅客機の多くに自動操縦(オートパイロット)が導入されているように、それがもたらす不確実性ないしその脅威は、人間が疲労や邪念の末に下す不正確、不合理な意思決定がもたらすそれらと比べれば知れており、数年前のリーマンショックの類を引き起こす確率は極めて低いのではないか。

コンピューター、ITと私たち人間は、いかに共生、共創するべきか。
間違い(笑)を怖れず最後に妄想すれば、ゴールが事前に定量評価可能、かつ、「間違い」が命取りになりかねない事柄は彼らが、そして、ゴールが事前に定量評価困難、かつ、「間違い」が命取りにならず、「間違い」を犯してでも過去の延長や焼き直しと決別する必要の有る事柄、即ち、イノベーションは人間が、それぞれ担当するのが賢明ではないか。



★2012年6月7日公開シンポジウム「人とITとの共創」(於:明治大学アカデミーコモン)にて催行
※1:保木邦仁さんの言は意訳。
※2:前段は、勝又清和六段の将棋、及び、コンピューター将棋の解説。
https://twitter.com/katsumata/status/209656610598039554
http://www.jasmin.jp/jp/pr/social/event/20120607/index.html

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kimio_memo at 06:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 講演/セミナー 

2012年06月05日

【経済】「サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件」山口義正さん

P187
オリンパスへの揺さぶりはさらに続く。
12月に入ってすぐに仕掛けたのは、ウッドフォードだった。
取締役の辞任を表明するとともに、委任状争奪戦を始めると宣したのである。
ウッドフォード側は社長を解任されて数日後には早くも委任状闘争を視野に入れていたから、第三者委員会の調査報告書の発表や、第2四半期決算の発表をにらんで、満を持していたに違いない。
ウッドフォードが用意したプレスリリースには「オリンパスのためであれば、私はいかなる犠牲をも厭わない覚悟です:と記されている。

「日本人は名誉を重んじると言われながら、大抵の人は重大な場面になるとどこかで腰が引けてしまう。
無難な落とし所を探そうとするんだな。
しかし欧米人はそういう時には徹底的に闘うから」ーー。
私は自分の知恵袋になってくれた大手証券患部社員の言葉を思い出していた。


P202
ウッドフォードは委任状闘争を断念する理由について改めて説明してくれた。
すでに気持ちがサバサバしているのか、ウッドフォードはくつろいだ様子で淡々と語る。
株式の持ち合いが強固で、大株主であり主力銀行でもある三井住友銀行などの協力がどうしても得られないこと、これ以上の闘いに家族が反対していることなどが、その理由だった。

この席でウッドフォードが少しだけ感情を込めて私に尋ねたことがある
「日本人はなぜサムライとイディオット(愚か者)がこうも極端に分かれてしまうのか」

身の危険を顧みずに不正を追求しようとするサムライもいれば、遵法精神に欠け不正を働いたり、何の疑問も持たずにこれを幇助したりするイディオットもいる。
あるいは不正を働いた企業側に回って正論に耳を塞いでしまう金融機関もイディオットに分類されるかもしれない。

私はついにウッドフォードの問いに答えられなかった。
両極端に分かれてしまう理由を並べ立てようと思えばいくらでも並べられるだろう。
しかしどんな答えを並べても、ウッドフォードを納得させられるとは思えなかったからだ。


P205
オリンパスの上場維持の適否を発表するとして、東京証券取引所は1月20日午後六時半から記者会見を開いた。

(中略)

東証の判断は果たして上場維持だった。
一連の不正が一部の関与者だけによるもので、主要な事業部門に直接の関係がなかったこと、事業の経営状況には影響が及ばない形で進められ、売上高や営業利益におおむね影響を与えていないことーーなどが上場維持の理由だった。
もちろんオリンパスの訂正有価証券報告書で債務超過ではないという結論が出ていることも、上場維持の判断につながっている。

一方、オリンパスには、上場契約違約金1000万円を支払うとともに、特設注意市場銘柄に指定して内部管理体制確認書の提出を求め、三年以内に改善されなければ上場廃止となるというペナルティが加えられることになった。
早い話が執行猶予のついた有罪判決という軽い処分でオリンパスを救済したということだ。

(中略)

堀江貴文が率いた旧ライブドアの粉飾決算が一期で50億円の経常利益水増しで上場廃止となり、堀江が獄中生活を送っているのに対し、オリンパスは約20年もの間、1000億円を超える自己資本の水増しを行なっていたこととバランスが取れないのは明らかだった。
長年にわたって財務内容を偽っていたのだから、その間の株価形成を歪め、国内外の多くの投資家の判断を誤らせて大損させたのは言うまでもないが、東証は「投資家の判断が著しく歪められていたとは認められなかった」と無理のある結論を導いた。


P211
もう一つの疑問は、「オリンパスは本当に債務超過ではないのか」である。

(中略)

ウッドフォードもやはりのれん代は過大に計上されていて、処理の仕方によってはオリンパスは債務超過になりかねないという認識なのだろう。

しかし新日本監査法人はオリンパスの訂正有価証券報告書の作成に当たってその償却を最小限にとどめて適正意見をつけ、隠し損失分を貸借対照表に反映させただけだった。

(中略)

のれん代の償却問題がほとんど手つかずのまま残ってしまったことで、オリンパスの財務面からみて先行きは不透明だ。
今後、株主代表訴訟などでオリンパスが賠償金の支払いを求められる公算は大きく、これも財務上の負担としてのしかかるだろう。
増やしに増やして損失と垂れ流す子会社群の整理を進めなければならないが、関係会社整理損などの特別損失が自己資本をさらに減らしてしまう懸念だってあるだろう。
他社が資本注入する際のデューディリジェンスで、これらが問題となって再浮上することはないのか。

これでは日本の経済社会全体がオリンパスに再度粉飾決算を是認し、黙認したようなものだ。
こうした判断に、巷間噂されているような政治サイドや中央省庁の意向が働いているとすれば、これは「官製粉飾決算」と言って差し支えない。
日本の経済社会が総ぐるみで過ちを隠し、見て見ぬふりをして口を閉ざすのなら、「これはまるで・・・」と思っていい。
「まるで日本社会がオリンパスになったようなものではないか」と。
そしてこれは、日本が守りたかったのは東京市場の質なのか、オリンパスなのか、銀行や監査法人など関係諸方面のメンツなのか、という問題をはらんでいる。

私はオリンパスが上場廃止になったり、法的整理に踏み切ったりすることを望んでいたわけではないが、東京証券取引所が不透明な形でしかも過去の同様のケースと整合性がつかない形で上場を維持したことは残念だ。
後に悪しき前例として残ってしまうことを恐れる。


P216
しかしわれわれ日本人は、ともすれば「正義」という言葉を口にするときに、多少のためらいや恥ずかしさを心のどこかで感じてしまう。
この気恥ずかしさは何なのかと考えてみて、すぐにわかった。
この恥ずかしさは、正義という言葉が死語になってしまっていることからくるのだ。

何でもいい。
「ナウい」「シティボーイ」「トレンディー」・・・など、死語の数々を日常会話に使ってみたときの滑稽さは、正義という言葉を使ってみたときの恥ずかしさによく似ていることがわかる。
あるいは青臭さからくる気恥ずかしさに通じているのかもしれない。
いまどきテレビの特撮ヒーローだって正義なんて言葉は使わない。
正義とは日本人にとって失われつつある価値観なのだ。
ひょっとすると正義よりも、逮捕された菊川や横尾らの隠れて不正を働いてしまう価値観の方が日本人にとってより親しみやすい友人なのだろう。

「日本人はなぜサムライと愚か者がこうも極端に分かれてしまうのか」。
マイケル・ウッドフォード元オリンパス社長のこの問いの答えは何か。
私は二つ直感した。

一つは、「日本人は凡そ『右へ倣え』だから」だ。
愚行の多くは楽で、誘惑的だ。
かつてツービートは、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とのギャグで私たち日本人の心を鷲づかみにした。
私たちの多くは、水戸黄門を、ひいては、葵の御門や免罪符の類を愛好、欲求している。
楽で誘惑的な愚行は、時と共に、「みんなそうだ!」、「みんなだってやっている!」との免罪符を得、済し崩し的に容認、拡散されている。

もう一つは、「日本は善悪の判断を歪める、ひいては、劣化、無意味化、無頓着化する環境に富んでいるから」だ。
例えば、スピード違反の取締りは、専ら事故発生確率の低い、交通量が少なく見通しの良い直線路で行なわれている。
捕まったドライバーは、不運と不条理を嘆くだけだ。
「サムライ」は、筆者の山口義正さん曰く「信念を持って正義や美意識を貫こうとする人物(P216)」だが、その存在はそもそも一握りな上、昨今の益々の受難で絶滅に瀕している。







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2012年06月04日

【柏将棋センター】「第70期名人戦第五局▲森内俊之名人△羽生善治二冠」藤井猛九段

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※大盤解説会終了後、ブログ主の堀が藤井猛九段に個別に祝辞を申し上げた折の会話です。

【堀】
今日はありがとうございました。
今日私は、藤井先生に(王位戦挑戦者になられた)お祝いとお礼を申し上げたくて、参りました。
藤井先生はお覚えでないかもしれませんが、昨年私、藤井先生が解説なさった、毎日新聞の名人戦大盤解説会にも参加いたしました
そして、友人の将棋好きの子どものために、解説会終了後、藤井先生に「心眼」の色紙を書いていただいた者です。

【藤井さん】
あー、はい、覚えてますよ。

【堀】
覚えていてくださいましたか。
これは恐縮です(礼)。
で、その子がですね、当時3級だったのですが、今年初段に上がりました。

【藤井さん】
それは良かったですねー。

【堀】
はい、ありがとうございます(礼)。
これは、藤井先生に昨年「心眼」の色紙を頂いたお陰だと。
その節は、本当にありがとうございました。(礼)

【藤井さん】
いえいえ。

(※以下省略)

5月30日の夜、藤井猛九段は、王位戦挑戦者決定戦で渡辺明竜王を下し、羽生善治王位に挑戦する権利を得た。
本局は、正に手に汗握る勝負、好局だった。
私は、19時半頃から終局まで自宅でネット観戦したが、その間、他のことが全く手につかなかった。(笑)
藤井さんの勝利への強情さとそれに抗う渡辺さんの懸命さに、感動した。
本当にイイモノを見せてくださった藤井さんと渡辺さんに、感謝でいっぱいになった。

私は、決心した。
「明後日の(第70期)名人戦第五局の大盤解説会は、参加するなら、藤井さんが解説くださる柏将棋センター以外無い」、と。
藤井さんを敬愛するようになり日も浅いが、藤井さんに会いたかった。
一言、本局のお礼と王位挑戦権獲得のお祝いをしたかった。
一声、昨年、将棋大好き少年のひろき君宛てにサインを書いていただいたお礼と、ひろき君の入段報告をしたかった。

6月1日の18時、私は、柏将棋センターを訪れた。
さずがに開始の17時30分には間に合わなかったが、雨かつ平日にも関わらず、場内は既に満員御礼状態だった。
参加者の多くは、柏将棋センターの常連のお客さま、及び、本道場を経営する石田和雄九段のファンに窺えたが、ただならぬ熱気に数多の「藤井愛」を直感した。

藤井さんは、凡そ3時間解説くださった。
パートナーが女流棋士ではなく、個性溢れる(笑)窪田義行六段だったことと、道場主の石田さんへの気遣いからか、過去二回拝聴した解説と比べると藤井節(笑)の炸裂は弱かったが、時折「筋悪の窪田流(笑)」と窪田さんをイジる(笑)など、参加者を終始飽かさなかった。

石田さんは、閉会の挨拶と共に、藤井さんの王位戦挑戦権獲得の祝辞を述べた。
藤井さんの前には、同じく祝辞を述べようと、ファンの行列ができた。
藤井さんは、長時間の解説の疲労をおくびにも出さず、いずれのファンにも笑顔と対話をふるまわれた。
十人十色のファンの言葉に、終始、異なる自分の言葉を返されていた。
私は、藤井さんのファン思いの深さに感動した。

私は、行列先頭のファン二人に少しだけ歓談いただいた。
お二人は、京都、広島と、遠方からのご参加だった。
京都の方は、既に上野に宿をお取りになっているとのことだったが、広島の方は、これから宿をお取りになるとのことだった。
私以上に、実施間際まで諸事情と奮闘し、参加を敢行なさったように窺えた。
また、その方は、藤井さんが藤井システムで竜王位を獲得した時からの、13年来のファンでいらっしゃった。
私は、両名の「藤井愛」の深さに脱帽すると共に、藤井さんの魅力を改めて思い知った。

藤井さんは、行列最後の私にも笑顔と対話をふるまってくださった。
そればかりか、改めて感動を、それも予想外の強い感動を授けてくださった。
果たして、藤井さんの様なトップ棋士は、一年に何回サインを書き、何人ファンと会うのだろう。
しかし、藤井さんは、昨年ひろき君宛てに色紙を書いたことを覚えていてくださった。
その上、まだ見ぬひろき君の成長を喜んでくださった。
私は、藤井さんへの敬愛の深まりを自覚した。

また、私は、過日の名人戦第三局の終局後、森内俊之名人が混沌の中捻り出した好手▲7五角に、羽生善治挑戦者が「いい手でしたね」と思わず呟かれたことを思い出した。
来月から始まる羽生さんとの王位戦が迫力溢れる勝負に成るよう期待して止まない。



★2012年6月1日柏将棋センターで催行
https://twitter.com/katsumata/status/207870252393046017

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kimio_memo at 10:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 将棋大盤解説会 

2012年06月03日

【観戦記】「第70期名人戦七番勝負〔第3局の15▲森内俊之名人△羽生善治王位挑戦者〕情念の戦い」甘竹潤ニさん

△5六成桂と引かれたこの局面が(森内俊之)名人にとっては緊張が最高潮に達した場面だったはずです」

島(朗)九段の言である。
次は△6七成桂の王手馬取りがある。
慎重にいくなら▲8四馬右だろう。
竜と2枚の馬が入玉ルートを作ってくれるはずだ。

だが森内は安全策を選ばなかった。
貴重な6分を費やして▲5ニ銀と攻めに出たのだ。

島「森内さんは先行き不透明な局面では、よくいわれる堅実さなどまったく感じられず、思い切りがよくなるのです」

曰く、▲5ニ銀は質駒にもなりかねず、プロ的には気が進まない銀打ちなのだという。
その危険を冒して、森内は羽生玉を詰ましにいった。

島「▲5ニ銀こそが、情念の戦いとなることが多い森内・羽生戦そのものという気がします」

ちなみに、羽生・佐藤康光戦では論理のまさる応酬が目につく。
また森内・佐藤戦は将棋がまったく異なるため、距離感のある戦いになる傾向があるという。

森内(俊之)・羽生(善治)戦は「情念の戦い」に、羽生・佐藤(康光)戦は「論理の優る/勝る応酬」に、森内・佐藤戦は「距離感のある戦い」にそれぞれ成る傾向がある、との島朗九段の分析は成る程だ。

人は、話す内容を、相手の態度に加え、資質で変える。
だから、私たちは、感情に偏りの有る人とは感情的な話に、また、理性に偏りの有る人とは理性的な話にそれぞれ成る傾向が高い。
「棋は対話(会話)」であり、相手が変われば、話す内容も、指す手も、結果も、変わって当然に違いない。

そして、羽生さんは、感情と理性が不偏向に違いない。
だから、感情に偏りの有る森内さんとも、理性に偏りの有る佐藤さんとも、数多の名局と戦績を収められているに違いない。
羽生さんの強さの一因は、感情と理性の不偏向がもたらす、他者調和力の高さに違いない。



★2012年6月2日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



kimio_memo at 19:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 新聞将棋欄 

2012年06月01日

【観戦記】「第70期名人戦七番勝負〔第3局の13▲森内俊之名人△羽生善治王位挑戦者〕まだまだ終わらない」甘竹潤ニさん

この将棋には、「前編」と「後編」に大きな見せ場が1回ずつ訪れる。
前編は「1点差を逃げ切るのが得意な名人」(島九段)が先手番の得を生かして奪ったリードを着実に広げていく場面。

そして後編の主役は羽生(善治)だ。
控室の誰もがサジを投げた局面から、すさまじい勝負への執念で森内(俊之名人)を凍りつかせた。

「羽生さんでなければこんな迫力のある終盤戦にはならなかった。森内さんの長所だけが出た凡戦になっていたかもしれません」と島(朗)九段。

(中略)

午後8時9分、森内の秒読み(残り10分)が始まった。
「50秒だけ読んでください」と記録係に告げ、目薬を射した森内はやがて▲7五角(本日終了図)と据えた。
局後羽生が思わず「いい手でしたね」とつぶやいた攻防の角。
今度は羽生がコンコンと考え始めた。

混沌の中森内俊之名人が捻り出した好手▲7五角に、局後、羽生善治挑戦者が「いい手でしたね」と思わず呟いたこと、即ち、当時、劣勢の羽生さんが森内さんの好応手に素直に感心感動していたことに、恐縮ながら、不肖の私も感心感動した。
迫力ある終盤戦、勝負とはいかなる形勢下でも、自分と相手を信じ、決着までの相手との応酬を積極評価、満喫した賜物に違いない。



★2012年6月1日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



kimio_memo at 10:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 新聞将棋欄