2012年05月

2012年05月31日

【観戦記】「第70期名人戦七番勝負〔第3局の12▲森内俊之名人△羽生善治王位挑戦者〕羽生の勝負術」甘竹潤ニさん

午後6時半、対局再開と同時に記者は対局室にこもった。
控室の「羽生、投了近し」を聞いて、終局場面を見逃すまいと思ったからである。
ところが本局はここから終局まで3時間以上を費やすことになる。

「驚異的な粘りという一言ではとても片づけられません勝ち目の薄い将棋をどれだけ追い上げられるのか。そこにトップ棋士にしかわからない強さの定義がある羽生(善治)さんの恐ろしいまでの迫力を垣間見た思いがしました」

島(朗)九段が絶賛した羽生の勝負術と「あきらめない姿勢」をこれからとくとご覧いただきたい。

(中略)

△3ニ銀と埋めて席を立つ羽生。
1人になった途端、森内(俊之)が「そっかそっか、そうですか。うーん」と頭を抱えた。

やがて戻ってきた羽生が▲8四馬を見て同じように「そうか~」とつぶやき、△4五桂から△5一歩と攻めと受けの手を駆使して、森内を迷路へと誘い込んだ。
羽生の勝負術。
再開からすでに1時間20分近くが経っていた。

島朗九段が詳解、絶賛した「羽生の勝負術」は、成る程だ。
そう羽生さんの迫力は、相手と勝負に最後の最後まで迫るばかりか、自分の闘争心にも最後の最後まで迫るのだ。
だから、相手と傍目には恐ろしく、次局の勝利にも迫るのだ。
羽生さんの迫力、及び、この迫力の担保力こそ、羽生さんの強さの主要源に違いない。



★2012年5月31日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



kimio_memo at 10:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 新聞将棋欄 

【BSNHK】「パラリンピックを目指して 驚異の身体能力」デイブ・クラークさん(ブラインド・サッカーイギリス代表キャプテン)

ブラインド・サッカーのイギリス代表、デイブ・クラークは、会社の同僚たちとサッカーの試合に臨みます。

【デイブ・クラークさん】
ピッチの縦と横の長さを頭に入れて、慣れることが大切ですね。

【同僚A(マーク・ウェリングさん)】
一緒にプレーしても大丈夫かなと不安でしたが、キックオフから二分も経たない内に、みんな試合に集中していましたよ。

【同僚B(マーク・ウェリングさん)】
目が見えないのに周りの選手の動きを把握できるなんて、すごい才能です。
本当に驚かされました。

【デイブ・クラークさん】
目の見える人を相手に試合をすると、レベルアップに繋がるんです。
音のするボールさえあれば、サッカーはできます。

生まれた時から目の不自由なクラークは、なぜ周りの状況を認識することができるのでしょうか。

【デイブ・クラークさん】
私は、ボール、仲間の選手、相手チーム、ゴール、両サイドのフェンス、コーチなどの光景が頭の中で見えるんです。
それができないと、サッカーはできません。

クラークの脳は、耳から聞こえる情報をどのよううに処理しているのでしょうか。
ケンブリッジ大学のロドリ・クーサック博士に調べてもらうことにしました。

【ロドリ・クーサック博士】
MRIの中で、ヘッドフォンからの音を聞いてもらいます。
音源の位置や音程の変化などを聞き取る、簡単なテストです。
それで、脳のどの領域が反応しているか調べるんです。

脳の中の音を処理する部分が活性化される様子がわかるはずです。

【ロドリ・クーサック博士】
このようにスキャンするのは、私たちにとっても初めての試みです。

クラークの脳の画像です。
聴覚を司る領域のみが光っています。
これは予想通りの反応です。

【ロドリ・クーサック博士】
ここが聴覚神経です。
上の方が優れているようです。

ここで驚くべきことが起きます。
視覚の領域も反応し始めたのです。

【ロドリ・クーサック博士】
目の見える被験者に絵を見せた時と同じような状態です。

【インタビュアー】
予想外の反応ですか?

【ロドリ・クーサック博士】
ええ、驚くほど活発な反応ですからね。
通常、脳の知覚領域は、目や耳などと強く結びついています。
しかしクラークの脳は、視覚を司る領域が、目で見た映像ではなく、耳で聞いた音を処理するよう変化しているんです。

音を処理する能力こそ、クラークの研ぎ澄まされた感覚の秘密なのかもしれません。

【ロドリ・クーサック博士】
こうした研究は、私たちにとっても興味深いことです。

私は、これまでブラインド・サッカーという競技を知らなかった。
そして、そのことも手伝って、イギリス代表キャプテンのデイブ・クラークさんの脳構造、ないし、聴覚を視覚へ転化する能力に深い驚愕と思考を覚えた。

勿論、クラークさんのこの能力は、独自のポテンシャルと非常識な自助の賜物に違いない。
しかし、合理的な根拠も、また、クラークさんを冒涜する気も無いが、誰でも心底ソノ気になれば、そして、最善努力を尽くせば、クラークさんのレベルには到達せずとも、この賜物に与れるのではないか。

本来、人間の能力は、このように一つが駄目で(になって)も他でカバーできる、トータルで帳尻が合うようデザインされている、のではないか。
だから、「多芸は無芸」であり、「棋士は世事に疎い」のではないか。
私たちはもっともっと、人間の能力と可能性を信じ、ソノ気と最善努力に忠実であらねばいけない。



★2012年5月29日放送分
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/120529.html

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kimio_memo at 06:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ 

2012年05月29日

【TwitCasting】「スズキラジオ/Yuki姉(ゆきねえ)の肉食系生き方のススメ」Yuki Toshimitsuさん

【1】人は一人では生きられない。よって、人生には摩擦が不可避。幸福力は「耐摩擦力」に比例する。

【2】「耐摩擦力」の陶冶には経験が有効かつ不可欠。

【3】経験には「先ずやってみる」という心情態度が有効かつ不可欠。「悩むより先へ進め」。

【4】失敗を恐れ、経験を怠るのは不賢明。失敗経験が無いと、失敗を経験した時&人の気持ちが理解不能。転ぶと痛いが、実際に転ばないと、その痛みはわからない。また、痛みを覚えるから、その痛みを二度と感じないよう、失敗の再発防止を真摯に考えるようになる。「人の厚み」はその賜物。

【5】経験へ向け行動に踏み出せない、初動を起こせない時は凡そ悩んでいるが、悩んでいる問題が表層的で、解決不能的に、即ち、不適切に悩んでいる場合が少なくない。悩むなら、ボトルネック(真因)について悩むべきだ。

【6】悩みのボトルネックは、人に相談する中で気づく場合が少なくない。

【7】ただ自分は人から相談される立場に居るが、人に相談することは殆ど無い。忙しく、悩む暇が無いからだ。決断した行動に対する意見は欲しいが、決断は独断すべきと考える。

【8】「課題」は、「どうやったら上手くいくだろう?」との積極思考を伴う、自分にとっての「to do」だ。自覚すべきは、「悩み」ではなく「課題」。

【9】「課題」は、凡そ「気づき(=「何でだろう?/なぜだろう?)」から自覚する。「気づき」が無いと、凡そスルーする。

Yuki姉(ゆきねえ)ことYuki Toshimitsuさんの思考は、凡そ同感だ。
たしかに、「悩むより先へ進め」だ。

しかし、「失敗を経験したくないから」とはいえ、なぜ人はかくも悩む、悩みたがる、のか。
私は、理由を三つ考える。

一つ目は、「行動を先延ばししたい、ないし、怠りたい、しないで済ましたいから」だ。
企業の多くが実施しているのは、「会議」ではなく「お悩み会」だ。

二つ目は、「悩んでいる自分を自己憐憫したい、ないし、他者に憐憫されたいから」だ。
彼女や奥さまの多くが日々悩んでいるのは、彼氏や旦那さまに優しく構われたいからだ。(笑)

三つ目は、「悩んでいる行動の肯定結果を心底には希求していないから」だ。
Yuki姉が人に悩みを相談なさらないのは、「悩む暇が無いから」ではなく、「自助の果て、行動を既に決断しているから」、そして、「行動の成果を心底家族と分かち合いたいから」ではないか。



★2012年5月18日放送分
http://twitcasting.tv/collabo/movie/4762685
http://twitcasting.tv/collabo/movie/4763187
https://www.facebook.com/collabo7607/posts/218171461633642
http://blog.livedoor.jp/tanashi30/archives/52270813.html
※上記内容は全て意訳です。



kimio_memo at 07:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ラジオ | web

2012年05月24日

【荒川将棋教室】「第70期名人戦第四局▲羽生善治二冠△森内俊之名人」佐藤康光王将、室岡克彦七段

sato_01
(46手目の)△3三桂は「当分受けに回ります」という手で、なかなか指せない。
ただでさえ、矢倉(※戦法名)の後手番は受け、守勢に回り易い。
だから、普通の棋士は攻められる先手番が好きなのだが、森内(俊之)さんは後手番が嫌いではないのではないか。

(58手目の)△2四歩は本来酷い手だ。
この手を指す所に、森内(俊之)さんの読みの深さが表われている。

外野で「この局面なら、私なら投げます(=負けを自認、宣言します)」と言っている人ほど、実際の対局では投げない。(笑)

同一の局面、結果でも、性格や棋風で、思考、言動が違ってくる。
たとえば、詰みまであと一手足りない時、慎重な人は「僅かに詰まない」と言う。
だが、楽観派の人は「全然詰まない」と言う。

羽生(善治)さんは(持ち)時間の使い方が上手い。
だから、終盤でも切迫していることがない。
これは、「それまで、すべき局面でしかと決断している」ということだ。
最終番でも二分残しているので、秒読みの一分将棋になるまでの一分間、しっかり考えてくる。
「自分は一分将棋にならず、相手を一分将棋に追い込む」ことができるのが、勝てる人だ。

棋士もトシをとるし、疲れる。
将棋の厳しい所は、最後は数学的結論を出さなければいけないことだ。
中盤までは事前の研究や大局観を使えばいいのだが、最後は正確に答えを出さなければいけない。
この点で、将棋は囲碁と少し違う。

(※113手目、先手▲の羽生さんが2五飛で飛車を切るのではなく、6八角を指したことについて)
やはり、羽生さんは、基本慎重だ。
たしかに、羽生さんを傍から見ると、「決めに行けばいいのに」と思うことが少なくない。
しかし、実際にこのような時に決めに行くと、10回に1、2回酷い目に遭うことがあり、こう慎重に指しておけば、酷い目に遭うのは100回に1回有るか無いかだ。
かつて村山聖九段は「羽生さんは次善手で勝つ」と言ったが、実際、最善手ではなく、次善手で勝てるから凄い。(笑)
この手もそういうことなのだろう。
大山康晴名人の流れをくむ、達人の技だ。
本人に真意を問えば、逆に、「なんで、こう指しておいてダメなんですか?」と返されるに違いない。
ともあれ、これで羽生さんが負ければ、後でこの手の是非が問われるだろうが、この(勝勢)のまま勝利すれば、謎のまま終わる。(笑)
棋士の中には、「この手は未着手に終わったが、なんでこの手でダメなんだろう?」とずっと謎を引きずってしまう、考え続けてしまう棋士も居る。

佐藤康光王将は、敬愛する棋士の一人だ。
だから、メディアに流れない今回の大盤解説は、大いに期待していた。
解説時間は凡そ3時間に渡ったが、非常に内容が濃く、大いに満足した。

佐藤さんの解説は、テレビやニコ生とは異なり、言葉を止め、大盤に集中する時間が少なくなかった。
佐藤さんのこと、最善手は忽ち見えるに違いないが、対局者の森内俊之名人や羽生善治二冠と同じ立場、視座で、最善手を上回る最善手を探求なさっているように窺えた。
昨今、佐藤さん、並びに、羽生世代の復興が目覚しいのは、かくして勝負と成長(実力向上)機会に絶えず真摯かつ貪欲であることが効いているのではないか。

佐藤さんのお話の内とりわけ考えさせられたのは、羽生善治二冠の持ち時間の使い方の上手さに関してだ。
たしかに、私は、すべき局面でしかと決断せず、切迫の果て、成果の果実にありつけない、逃してしまう、ことがままある。
時間と精神余裕というリソースの消費進捗に、もっと頓着しなければいけない。

余談だが、佐藤さんは、本会終了後、会場の撤収作業に率先なさった。
恐縮だが、タイトルホルダーであり、トップ棋士の佐藤さんが、疲労を内に秘め、普通に会場の机や椅子を並べ替えている様を見、感心感動した。
佐藤さん、並びに、羽生世代の持続的な強さは、非凡と凡人の同棲の妙にあるのではないか。



★2012年5月23日サンパール荒川にて催行
https://twitter.com/murooka1/status/205185936592601088
http://ameblo.jp/murooka-katsuhiko/entry-11230573218.html
※上記内容は、佐藤康光王将と室岡克彦七段の会話の意訳です。

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kimio_memo at 10:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 将棋大盤解説会 

2012年05月23日

【BSTBS】「SONG TO SOUL 永遠の一曲」The Supremes”You Can't Hurry Love”〔解説〕メアリー・ウィルソンさん

「恋はあせらず(You Can't Hurry Love)」は聴いた途端に気に入ったわ。
グルーヴ感があって、私たちの感性にあっていた。
ダンサブルでテンポも速く、分りやすい恋の歌だった。
10代を終え、20代の大人になった頃だったから、聴いてすぐ気に入ったわ。
ファンク・ブラザースのベーストラックを聴いた瞬間に、「いい曲」だと思った。
スプリームスの曲には時代的変遷があり、初期と後期では大きく異なるの。
デビューしたての頃は、子どもっぽくて、「Baby baby~」とシンプルだったけれど、「恋はあせらず」は違う。
グルーヴ感があるソウルフルな曲だったから、本当に嬉しかった。

この曲の歌詞は究極の歌詞じゃないかしら人生の「知恵」を教える歌詞だから。
「愛はゆっくりと育むもの」という知恵よ。
こんなヘヴィなメッセージを、チャラチャラした感じのメロディで歌い上げる。
だから、色んな状況が浮かんでくるのよ。
例えば、母親が「恋はあせったらダメ!ちょっと冷静になって!」と諭しているシーン。
おばあちゃんになった私が、孫たちに恋愛指南をしているみたいよね。

人生の「知恵」は「真理」とも言えよう。
「人生の真理はヘヴィゆえ、他者にはチャラく伝承すべし」。
メアリー・ウィルソンさんのこのお考えは、尤もだ。
現に、私たちは、寅さんから「それを言っちゃオシマイよ」と、そして、バカボンのパパから「これでいいのだ」と教わっている。(笑)
娯楽のレーゾンデートルの最たるは「希望の授受」に違いないが、「人生の真理の理解伝承」も甲乙付け難いのではないか。



★2012年5月8日放映分
http://w3.bs-tbs.co.jp/songtosoul/onair/onair_63.html

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kimio_memo at 07:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ 

2012年05月21日

【観戦記】「第70期名人戦七番勝負〔第3局の2▲森内俊之名人△羽生善治王位挑戦者〕アロハの精神」甘竹潤ニさん

恒例の前夜祭での挨拶は、両者ともに実に心のこもったものだった。

森内「義理の母がいわき市の出身です。今回、この地で対局できるのがとてもうれしい。被災された方が少しでも喜んで、そして元気を持っていただけるような将棋を指したいです」

羽生「復興が進むいわき市で対局できるのはとても名誉なことです。明日はアロハシャツ姿というわけにはいきませんが、アロハの精神を忘れずに全力を尽くします」

「アロハの精神」を調べてみると「前向きな姿勢を示し、それが他の人にも広がっていく」という深い意味があることを知った。
これは復興へのメッセージそのものではないか。

「アロハの精神」は初耳だが、成る程だ。
やはり、自分にも社会にも一番大事なのは、先ず自分が前向きに生きることに違いない。
希望とは、ただ授かるモノではなく、先ず作るモノだ。



★2012年5月21日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



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【観戦記】「第70期名人戦七番勝負〔第2局の13▲羽生善治王位挑戦者△森内俊之名人〕羽生もがっちり1勝」上地隆蔵さん

森内(俊之名人)の目から闘争心の火は消えていた。
残ったフルーツのおやつを一口含んだ。
もぐもぐと静かに食べた。
羽生(善治挑戦者)の指の奮えが依然止まらない。
▲4三歩成を着手する時、(森内側の)3四の歩に触れて大きくゆがんだ。
震える指先で一応直すが、戻らない。

普段の森内なら几帳面にすぐ直す。
相手に自分の駒を触れられるのは面白くない。
しかし敗戦が決定的となった今、瑣末な駒のゆがみなどどうでもよくなったか、しばらく放置された。
それでも耐え切れなくなり、最後には森内がチョン、チョンと駒の向きを整えた。
羽生はひたすら盤上に集中していた。

羽生に▲4七銀(終了図)と指されて、森内は水で喉を潤した。
投了を告げるときに、声が枯れないようにという敗者のたしなみだ。
しばらくして森内は明確な声で「負けました」と投了。
羽生も一礼を返す。
そして高揚した心を鎮めるようにコップの水を飲んだ。

「棋譜を汚さない」。
本事項こそ、将棋に対する心情態度の内、アマとプロ棋士を分かつ最たるだ。
プロ棋士が私たち俗人と異次元の高潔さを持つ主因は、勝利や名誉といった自己利益より、将棋という伝統文化を重視しているからだ。
そして、だからこそ、彼らは、それを汚さぬよう「棋譜を汚さない」のだ。

平生、森内俊之名人が盤上の自分の駒の乱れを放置できないのも、根本は同じで、ご本人の几帳面さという資質は二の次ではないか。
然るに、森内さんが、本局の終局間際で、短時間とはいえ、盤上の自分の駒の乱れを放置なさったのは、敗戦必至による闘争心や意気の消沈とは異なる、俗人には推量不能な因果ではないか。

そもそも、森内さんのようなトップ棋士は、もはや闘争という心情とは無縁ではないか。
彼らは、同朋との無言の対話が至福の、永遠の名棋譜創造者を自負しているのではないか。
そして、だからこそ、私たち俗人は、かくなる高潔者の永遠の追っかけに甘んじているのではないか。



★2012年5月19日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



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2012年05月17日

【洋画】「噂のモーガン夫妻/Did You Hear About the Morgans?」(2009)

〔ひと言感想〕
「夫婦で兎に角大事なのは、前に進むこと。
それも時に、日常のルーチンやデフォルトを放棄し、忘れるべきは忘れ、赦すべきは赦し、同じ敵、目標に共に立ち向かうこと」。
ヒュー・グラントの教えです。(笑)


噂のモーガン夫妻 コレクターズ・エディション [DVD]
出演:ヒュー・グラント、サラ・ジェシカ・パーカー
監督:マーク・ローレンス 
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2010-10-27




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2012年05月16日

【BS朝日】「カーグラフィックTV/遂に新型911登場!!従来型との比較SP」松任谷正隆さん

【松任谷正隆さん】
これ(※先代の911)はこれで、よくできているんですけどね。

【田辺憲一さん】
もちろん、そうですね。
まあ、だってこれ、過去のクルマってわけじゃないですからね。
ついこの間まで売られていたモデルしょうから。

【松任谷正隆さん】
最後の最後の方になって、やっぱり、どんどんブラッシュアップされてきましたね。

【田辺憲一さん】
松任谷(正隆)さんは何台かポルシェを今まで所有されてきてね、今までの、まあこれも最後の方のモデル、仕様だけども、どういう風になってきたなぁと思いますか。

【松任谷正隆さん】
あー、まず、クセがどんどん薄くなっていった。
でも、基本的に、リアエンジンのクルマだし、ポルシェらしい手ごたえとか、ポルシェらしい動きとかっていうのは、ずっと無くなってなかったような気がしますね。

「(モデル末期に近づくにつれ)クセがどんどん薄くなっていった」。
松任谷正隆さんのこのお話に、同感と思考を覚えた。

たしかに、クルマ(自動車)は、モデル末期に近づくにつれ、優れていく。
ユーザーの実用意見/評価がフィードバックされ、熟成していくからだ。
モデル初期と比べ、凡そ、瑣末な不具合や違和感は激減し、乗り心地や走行安定性は向上する。
「新車を買うなら、モデル末期が良い」と考える人が少なくないのは、この為だ。

しかし、松任谷さんのお話を聞いて、この考えに疑義を覚えた。
クルマ、それも「ドライブカー」を欲するなら、買うべき新車はモデル初期ではないか、と。
なぜか。

一番の理由は、モデル末期に近づくにつれ優れていくのは、凡そ「工業製品」としてであり、「ドライブカー」としてではないからだ。
モデルチェンジの本質は「対象マーケットへの新価値提案」だが、実際は「前モデルへの異議申し立て」や「開発者のココロの叫び」だ。
松任谷さんが仰った「クセ」は、その表象だ。
そして、このクセこそ、新モデルのレーゾンデートルかつ妙味だ。
ビールで言う「一番搾り」だ。(笑)
クセの強い人間がそうであるように、クセの強いクルマは扱い難いが、痛快だ。
クルマも、人間と同様、クセは有って然るべきであり、また、クセが有るから可愛く、別れ難い。

説明が遅れたが、「ドライブカー」とは、今私が勝手かつ自然に想起した言葉だ。(笑)
要するに、「運転そのものを楽しむクルマ」で、スポーツカーはその最たるだ。
人間、並びに、人間と付き合う本懐が人生を楽しむことであるように、ドライブカー、並びに、ドライブカーを購入する本懐は運転を楽しむことだ。
クセの無い人間、ないし、クセの無いクルマの選好は、人生の妙味の放棄だ。

余談だが、私がかつて勤務した自動車メーカーは、世界屈指のスポーツカーを何台か作っていた。
そのクルマ(モデル)は、とりわけ構造がユニークだったが、モデルチェンジサイクルが長く、モデル末期に近づくにつれ、新モデルと見間違うほど熟成した。
最終モデルは限定生産され、正に安定した、大人のスポーツカーと相成った。
初期モデルに散見されたトリッキーなハンドリングは消え失せ、オーバーステアリングは影を潜めた。
ただ、私は、このクルマの開発主査から「開発のココロ」を直接聞いている。
もし、このクルマの初期モデルをまたサーキットでドライブできる幸運に恵まれたら、笑顔でスピンしたい。(笑)



★2012年5月13日放送分
http://www.bs-asahi.co.jp/cgtv/prg_20120509.html

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kimio_memo at 07:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ 

2012年05月14日

【観戦記】「第70期名人戦七番勝負〔第2局の8▲羽生善治王位挑戦者△森内俊之名人〕羽生の本命」上地隆蔵さん

△3三玉の局面で、羽生(善治挑戦者)が考えている。
衛星放送の解説の高橋(道雄)九段は▲8一飛成を強く推奨した。
以下△5八成桂▲同金▲4九馬のとき、▲8五竜が格別の味。
2五の銀を抜いてしまえば磐石の態勢だ。
第二候補は安全策の▲6六飛成。
勝ち味は遅いが、竜の存在が強大で容易に負けない。

羽生が考慮中、高橋九段は興味深い話をした。

「こんな場面で羽生さんは誰も思いつかない第三の手を指すことがよくある。
でも羽生さんにすれば、それが本命。
局後尋ねると、『えっ?この一手ですよね』なんて逆に驚かれる。
だから感想戦で口を開くのは勇気が要るんですよね(笑い)」

結局、羽生は第二候補の▲6六飛成を選んだ。
高橋九段はモニターを見て、「ふ~ん」という顔をした。

高橋道雄九段が羽生善治二冠の着手に、「誰も思いつかない、『第三の手』が多い」旨評されたが、尤もに感じた。
羽生さんは、やはり、「勝負の本質は、人と違うことをやること」と心底心得、その思考習性を行動習性と完全かつ無意識に同期させておられるのではないか。

「非凡と凡人を分かつ最たるは視座」と言う。
「そもそも『見る所』、『向けている眼差しの向き』が違う、非常識である」というわけだ。
羽生さん、及び、実力者の実力者足る所以は、「第三の手」が着想可能な視座と断念不能な習性の非常識な会得に在るのではないか。



★2012年5月14日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



kimio_memo at 10:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 新聞将棋欄 

2012年05月12日

【BSTBS】「SONG TO SOUL 永遠の一曲」Earth, Wind & Fire”Fantasy”〔解説〕モーリス・ホワイトさん

いい曲を作るポイントは、どこかで聴いたようなメロディを作ることだ。
初めて聴いても何故かそうではない気がする。
それがいい曲だ。

(中略)

人は音楽の中で我を忘れることで、逆に失っていた自分を取り戻す。

(中略)

私たちは、人々を解放したいんだ。
私たちのステージが、いつまでも残る大切な経験であってほしい。

「いい曲」を「大衆の共感が得られる曲」と解釈すれば、モーリス・ホワイトさんがお唱えになる「いい曲」を作るポイントは成る程かつ同感だ。

私たちの多くは、音楽に限らず、日々数多の新しい情報をインプットするが、殆どをスルーし、一部の「好感事」、即ち、「自分にとって好都合、好印象な事物」のみ記憶、ストックする。
なぜか。

主因の一つ目は、「受容し切れないから」だ。
私たちが有するCPU、メモリー、HDDには限りがある。

主因の二つ目は、「理解し切れないから」だ。
だから、説明書を読まないと使えない電化製品は売れない。

主因の三つ目は、「好感事のみ欲求しているから」だ。
私たちは、「見たいモノ」だけを見、「聞きたいコト」だけを聞く。

「どこかで聴いたようなメロディ」が「いい曲」に成るのは、私たちの心の奥底にストックされているメロディと共振し、当時の好感を連鎖醸成するからだ。
人生とは、等しい好感を異なる対象で反復知覚する道程かもしれない。



★2012年2月19日放映分
http://w3.bs-tbs.co.jp/songtosoul/onair/onair_35.html

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2012年05月10日

【観戦記】「第70期名人戦七番勝負〔第2局の4▲羽生善治王位挑戦者△森内俊之名人〕定説に挑戦」上地隆蔵さん

森内不調説について本人のコメントが届いた。
「連敗のほとんどは昨年の10~11月だったので過去の事と思っていた。
ずっと(調子が)悪いことはあり得ないし、後は上向くだけなので、特に心配はしていなかった」

完璧主義だった若い頃の森内なら深刻に悩んだはずの不振。
しかし41歳になった今の森内は、いい意味で楽観的な見方ができる。
余計なことは忘れる。
それも強さだ。

「ずっと(調子が)悪いことはあり得ない」。
この楽観、確信こそ、森内俊之名人が非凡かつ実力者であられる表象だ。
私なら、「ずっと悪いことがあり続けるかもしれない」と悲観、憂慮するに違いない。

森内さんは、実力者だからこう楽観、確信できるのか、それとも、こう楽観、確信できるから実力者なのか。
私には、終生解からないだろう。
しかし、実力者の実力が、立て続いた不成功を「一時の瑣末なてん末」、ないし、「果たすべき成功への準備」と楽観、確信できる力と、相互依存の関係にあるのは違いない。



★2012年5月10日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



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2012年05月08日

【BSNHK】「BS歴史館/帝国憲法はこうして誕生したー明治・夢と希望と国家ビジョンー」伊藤博文さん

思いもよらないドイツ憲法の行き詰まりを見て悩む伊藤(博文)。
憲法を作ることの難しさを、こう綴っています。

「ある国の憲法をそのまま翻訳するのは、難しいことではない。
しかし、その国の政治の実態と共にこれを見なければ、本当の政治体制を知ることはできない。
憲法の良否得失を議論するは実に寝食を忘るる心地にてそうろう」。

他をそのまま翻訳するのは難しくないものの、実態にそぐう形で機能させるのが難しいのは、憲法に限らない。
既出の方法論は全てそうだ。
だから、企業は競合他社の成功事例をそのまま真似しても上手くいかないし、女性は芸能人のダイエット法をそのまま真似しても長続きしない。(笑)

既出の方法論の内、そのまま翻訳し、実態にそぐう形で機能するものは皆無に違いない。
副作用の無い万能薬が存在しないように、いずれの方法論も完璧、万能でないからだ。

方法論とは、現状と目標の架け橋だ。
既出の方法論を実態にそぐう形で機能させたいなら、そして、目標に辿り着きたいなら、先ず、かつて”その”方法論がいかなる現状、良否得失の判断のもと案出、実行されたかを正確に理解する必要がある。



★2012年5月3日放送分
http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20120503-10-07961

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kimio_memo at 07:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ 

2012年05月04日

【TV東京】「カンブリア宮殿」木村修さん、吉田修さん(伊賀の里モクモク手づくりファーム)

モクモクが成功したもう一つの理由。
それは、普段できない農業を体験してもらえるようにしたこと。
たとえば、イチゴ狩り。
どこにでもある食べ放題じゃない。

「(※ビニールハウス内のお客さまに対して)みなさん、お気づきでしょうか。
実は、イチゴというのは、果物ではなく、お野菜なんですね。
一般的にですね、木になっているものを果物と呼びます。
(中略)
答えなんですけれども、(イチゴは)バラ科になっています」。(スタッフさん)

この薀蓄クイズで、知らず知らずの内にイチゴのことがわかっていく。
体験を通して、農業そのものに興味を持ってもらおうとしているのだ。

【木村修社長】
やっぱり、「こういうことが必要だ」、「こういうことが、これからの時代大事だ」ということをですね、常に自分らの口で表現していくことが大事。

【吉田修専務】
消費者は「お客さん」じゃない。
「仲間」なんです、「仲間」。
(私たちは)そういうスタンスなんです。

【木村さん】
これは、常に僕らは「仲間でありたい」と。
生活者に耳傾けて、一所懸命作ります、その通り。
だから、作ったら一緒になって、それをわかってもらえるような仕組みを作っていくっていうのを、だから、それが大事だと思っています。

(中略)

【小池栄子さん】
体験コーナーでは、お子さんだけじゃなく、大人の方も大変楽しまれて、あれは、伝えるというか、クイズを通して農業というものを知るキッカケにはなりますものね。

【木村さん】
(イチゴ狩りは)普通「食べ放題」ですからね。
あれ、「食べ放題」にして、何の教育価値が生まれるだろう。
全然生まれないですよ。
食べ物を知ってもらう(立場であるはずの)農家がやったらダメだと。

【吉田さん】
自分らが(イチゴ狩りを)する時に(実際のイチゴ狩りを)見に行ったんですよ。
そしたら、(親が)子どもにですね、「あんた、元取らなアカンで、沢山食べなアカンよ」っちゅうのを聞いてね、「これは僕らのするようなイチゴ狩りではない」という風に思ったんですね。

【木村さん】
「リピーターを作る」っていうのは、自分たちのファンをどうやって増やしていくのか、自分たちの思い、我々の考え方をどれだけ共感してくれる人たちを増やしていくか、そこに尽きるんですよね。
その為に何が必要かというと、食べ物を知ってもらわなきゃ。
食べ物が最も大事だと。

驚いたことに、伊賀の里モクモク手づくりファームは、自らの農業の理念を対象顧客に喧伝、啓蒙する場としてイチゴ狩りを催していた。
私は、モクモクの他に、かくなる趣旨でイチゴ狩りを催している農家、及び、農業流通業者を知らない。

なぜ、彼らは、これまでかくなる趣旨でイチゴ狩りを催さなかったのか。
一番の理由は、かくなる趣旨で催す必要性、切迫感の無自覚に違いない。
しかし、同等の理由として、思考停止や諦観が有ったのではないか。
彼らは、「所詮、イチゴ狩りは『観光客にイチゴを時間制限で食べ放題にする場だ』」で思考停止していたのではないか。
また、「所詮、お客は、一部の品種を除いて、イチゴの価値を正確に評価し得ない(=価格だけで評価する)」との諦観を抱いていた、払拭できなかったのではないか。

即ち、彼らは、競合優位の創造アプローチとして、自らの農業の理念を対象顧客に喧伝、啓蒙することを着想するも、その実現手段としてイチゴ狩りを発想し得なかった、また、発想しても早々に断念した可能性が有る。
「必要は発明の母」なのは間違いないが、必要や切迫感は万能ではない。
ビジネスマンにとって、「所詮・・・」から成る思考停止と諦観は大敵だ。



★2012年4月26日放映分
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20120426.html



kimio_memo at 06:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ 

2012年05月03日

【TV東京】「カンブリア宮殿」ハワード・シュルツさん(スターバックス会長兼CEO)

【村上龍さん】
経営者っていうのは、常にロマンチストの面とリアリストの面を持っていなきゃいけないと思うんですけど、(ハワード・)シュルツさんは、そのバランスみたいなものをどうお考えですか?

【ハワード・シュルツさん】
私は現実主義者です。
でも、中途半端な所で納得したくないんです。
私は、理想主義者ではなく、理想を現実的に追っているだけなのです。
それは、利益を出しながら、同時に、社会的な貢献も行なっていくということなのです。

成る程だ。

人はパンだけでは生きられず、理想や夢が欠かせない。
だから、例えば、若い女性の多くは、女優やモデルに憧れ、彼女のメイクや身なりを模倣する(まねぶ)。
しかし、それは、ハワード・シュルツさんとは異なり、理想や夢を中途半端に、即ち、非現実的に追っているだけだ。
現実的に追うなら、まねぶべきは、”その”メイクや身なりを発想した「思考」とそれらがフィットする「身体」の構造だ。

「他者のではなく、自分の理想や夢を現実的に追えるか」。
これが、幸福ないし成功の必要条件の最たるに違いない。
他者の理想や夢を非現実的に追っているだけの人は、独自の理想や夢を現実的に追っている人の幸福、成功に寄与しているだけだ。



★2012年4月12日放映分
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20120412.html
https://www.facebook.com/kimiohori/posts/3906553705081
https://www.facebook.com/naoki.ueda.1977/posts/293710030714773



kimio_memo at 07:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ 

2012年05月02日

【自戦記】「第70期名人戦順位戦B級2組〔第6譜▲田村康介六段△飯塚祐紀七段〕人とのつながり」飯塚祐紀さん

通算20期目の今期、意気込みとは裏腹に初の開幕連敗を喫した。
自分の拙劣な指し手に暗い気分になる。
その半年後の本局では、一転して昇級を懸けて戦うことになり、人生なにが起こるかわからない。

子供教室やら地方遠征やら、一つ一つがんばっていれば必ず誰かが見ていると先輩棋士から助言を受けた。

実力本位に見えるプロ棋士生活でも、人とのつながりの持つ意味はやはり大きい。
そのつながりの誰かが勝負どころで、運を貸してくれたのだろうと思うことにしている。

飯塚祐紀七段の「運を貸してくれた」というのは、成る程だ。

たしかに、成功には実力が不可欠だが、「実力の向上」、即ち、「成長」の主契機は他者の触発だ。
「自分を触発してくれる他者に出会えるか」。
「”その”他者が自分を触発してくれるか」。
「”その”他者がしてくれた触発を素直かつ正確に受容できるか」。
これが運の正体だ。

そして、だからこそ、運は一方的に「恵まれる」のではなく、他者と「貸し合う」ものなのだ。
他者共々、実力を螺旋状に向上させ、時折成功の美酒に与るのが、人間の、また、社会の自然なのだ。


★2012年5月1日付毎日新聞夕刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/



kimio_memo at 10:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 新聞将棋欄 

2012年05月01日

【NHK教育】「カラフル/もっと強くなるために」伊藤匠くん

僕の名前は伊藤匠(小4)です。

(中略)

〔放課後、将棋クラブへ(三軒茶屋将棋倶楽部)〕

僕たちに将棋を教えてくれる宮田(利男)先生です。
多いときは20人くらいで指導対局する。
すごいと思います。

(中略)

〔匠くん、宮田七段の指導対局に単純なミスで負ける。〕
〔宮田七段が、匠くんが指した敗着を、繰り返し、正着を大きな駒音を立てて咎める。〕

【宮田七段】
もう一回やってやろうか?(笑)

【匠くん】
もういい。(笑)

【宮田七段】
ヘボ。
(中略)
丸暗記じゃダメなのよ。
(中略)
いつものこの格好ってさ、攻め自体無理なんだよ。
指せると思うのが勘違いなんだよ。
ちょっと甘い。
もう一回やるか、泣いて帰るか、どっちかにしなさい。

【匠くん】
(宮田先生は)強くなろうとする気になる人は、まあ、厳しいけど、別にそういう気の無い人には、そんなに厳しくない。

【スタッフ】
あなたはどっちの方がいいの?

【匠くん】
厳しいほうがいいです。

(中略)

【匠くん】
「勝ちたい」というよりは、なんか、「強くなりたい」って(思います)。

小学生アマ高段者(三段)の伊藤匠くんの心情態度は、感心、思考させられる所が多かった。
その最たるは、匠くんが小学四年生にして、厳しい指導の狙いが向上心の鼓舞にあるのを心得ておられたこと。
そして、厳しい指導を選好なさっていたこと、だ。

なぜ、匠くんは、宮田利男七段の厳しい指導に心が折れたり、逆ギレせず、積極的に応えるのか。
ひと言で言えば、もっと強くなりたいから、即ち、実力を高めたいから、ではないか。

勿論、匠くんのこと、将棋の本質である「棋は対話なり」を会得し、他者の心情は容易に読み解けよう。
そして、それも、厳しい指導の選好を後押していよう。
しかし、匠くんは既に、「実力の向上こそ、自己実現の根源かつ最速の経路である」と思考、得心なさっているのではないか。
そして、それこそが、厳しい指導の選好を最も後押しているのではないか。

翻って、なぜ、私たち大人の多くは、他者の厳しい指導に心が折れ、逆ギレしてしまうのか。
先ず、自己実現に無意識、無頓着だからだ。
そして、眼前の瑣末な成功、ないし、それがもたらす些少な褒賞と見栄、刹那の自信と安堵に執着しているからだ。

宮田七段に限らず、そもそも人が他者を厳しく指導するのは、”その”他者の「実力の向上」、ひいては、「成功の実現」に加担したいからだ。
さもなくば、なぜ、大の大人が、敢えて自らのリソースをすり減らしてまで、”その”他者を挫く必要があろう。
私たち大人は、もっと強くなるために厳しい指導を選好する、匠くんの爪の垢を煎じて飲む必要があるのではないか。



★2012年4月27日放送分
http://www.nhk.or.jp/tokkatsu/colorful/index_2012_003.html



kimio_memo at 07:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) テレビ