2016年08月31日

【邦画】「日本のいちばん長い日」(2015)

[ひと言感想]
「責任をとる」とは、「収まりをつける」ことなのだろう。
収まりがついてない「空気」とは、とるべき人がとるべき責任をとっていない表れなのだろう。
収まりの「判断」が個人の知性なら、「始末」は個人の運命かもしれない。


日本のいちばん長い日 [DVD]
出演:役所広司、松坂桃李、山崎努、本木雅弘
監督:原田眞人 
松竹
2016-01-06




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2016年08月30日

【洋画】「ザ・ファン/The Fan」(1996)

[ひと言感想]
人が自分以外の他者、ないし、彼らの手がけるモノやコトに全身全霊で熱狂するのは、全身全霊で熱狂できるだけのモノやコトが自分に無い、もしくは、無くしたままにしているからだ。
結局、人は独りであり、他者は変わる。
人は、自分というファンを失ってはいけない。


ザ・ファン [DVD]
出演:ロバート・デ・ニーロ、ウェズリー・スナイプス
監督:トニー・スコット 
Happinet(SB)(D)
2015-10-02




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2016年08月29日

【野球】「負け方の極意」野村克也さん(著)

P181
第五章 負けを活かすために何が必要か

限界を知り、知恵を振り絞れ


失敗を成功に変えられるか、負けや挫折を勝ちにつなげられるか、それを最後に分けるものーーそれはやはり、「頭脳」であると思う。言い換えれば、どれだけ考え、知恵を振り絞ることができるか、ということだ。

繰り返すが、私は天才ではない。器用でもない。プロ野球界のなかでは、むしろ鈍才の部類で、不器用だ。しかし、結果として私は、半世紀以上ものあいだユニフォームを着続けることができた。私ほど長いあいだグラウンドに立っていた人間は、そうはいないのではないか。

それがなぜ可能だったかといえば、答えはひとつ。
「頭を使ったから」

失敗し、壁にぶつかるたび、徹底的に考え、知恵を振り絞ることで、失敗や挫折や負けを糧にすることができたからこそ、いまの私がある。これは絶対に間違いない。本来ならば、二流で終わっていたかもしれない私が、まがりなりにも三冠王を獲得できるまでの選手となったのは、また、齢七十を超えても監督として迎えてくれる球団があったのは、それが最大の理由である。

では、私がどうして頭を使ったかといえば、限界に突き当たったからにほかならない。言葉を替えれば、おのれを知ったからだ。どうやっても二割五分しか打てないと悟ったからこそ、知恵を振り絞り、データやピッチャーのクセを研究して配球を読むことで、残りの五分の壁を乗り越えたように。

これは私の固定観念かもしれないがーーまずは自分の限界、技術的限界を知らなければ、人はほんとうに頭を使おうとはしないのではないか。
「これ以上は努力しても、どうにもならない」

そう思ったとき、すなわち、何回チャレンジしても超えられない壁にぶつかったとき、負けを受け入れるしかなくなってはじめて、人間は「頭を使おう」と考えるのではないか。というより、もはや頼るもの、使うべきものは頭しか残されていない。

そして、プロの戦いとは、そこからはじまるものだと私は考えている。プロと呼ばれる以上、その道の専門家であらねばならない。そのためには、人との差を認め、それを克服すべく頭を振り絞ることが求められる。そうしてはじめて、プロとして生き残っていくことができるーー私はそう信じている。だからこそ、私はたびたび口にする。
「技術力には限界がある。しかし、頭脳に限界はない」

失敗したり、挫折したり、敗北したときにどうするかで、その人間の価値は決まる。「もうダメだ」とあきらめてしまえば、それまでだ。

そうではなく、目指すべきビジョンと現状との差を明確にし、つまり課題をしっかり把握し、その差を埋め、克服するための方法論を徹底的に考え抜き、それにもとづいて日々の行動を規定していくーー負けを活かす方法は、言い換えれば負け方の極意は、まさしくそこにある。それこそが一流と二流と分けることになる。あきらめが役立つときはただ一度、新しく物事をやり直すときだけなのだ。

ただしーー断っておくが、限界を知るのは並大抵の努力では不可能だ。それこそ血を吐くような努力を要する。日々精一杯努力を続けていった果てに見えてくるものなのである。

「限界」と「未熟」は違う未熟者とは、仕事に対する熱意や研究心、向上心に欠ける者のことをいう。未熟者のいう限界とは、「たんにつまづきをこじらせただけ」の状態なのだ。


ところがたいていの人間は、ほんとうの限界を知る前に、つまりつまづきをこじらせただけであきらめてしまう。努力をやめてしまう。そして、未熟者ほど失敗や敗戦の原因を「スランプ」という言葉で片づけ、さらには問題を素質の多寡にすり替えてしまう。いわく「自分には才能がない。これ以上は無理なのだ」と・・・。当然、そこで思考も停止する。それ以上知恵を振り絞ることもない。それでは負けを勝ちにつなげることなどできるわけがないと心得ておいたほうがいい。

『限界』と『未熟』は違う」とは成る程だ。
たしかに、我々凡人が直感する「限界」、それも技術的、能力的な「限界」の多くは、「未熟」な現時点における「限界」であり、完熟した本来の「限界」ではまずない。

私がこのことを初めて学んだのは、母親に嫌々ピアノを習わされた(笑)幼少時分かもしれない。
当時、ピアノの練習は嫌で仕方なかった(←友だちと遊ぶ時間が激減するし、当時はオトコがピアノを弾いていると「オンナみたい!」とオトコ友だちから馬鹿にされた)が、教則本が「赤のバイエル」から「黄色のバイエル」、「ソナチネアルバム」へと変わり、自分の演奏の限界が目に見える形で破られ、高まっていくさまは子ども心ながら誇らしく、このことを学ぶに十分だった。



こうして考えてみると、ピアノは習わずとも、大人であれば幼少、青年時分、勉強等(笑)何らか習っており、物事に習熟する過程とその果実を、ひいてはこのことを、大なり小なり学んでいるはずである。
にもかかわらず、野村克也さんの仰る通り、我々大人の多くは、自分の「未熟」から逃げ、素質の多寡を口実に、眼前の「限界」を破ることを諦めている
なぜか。

主因の一つは、「豊かな現代は、『他にやる(やれる)コト」、即ち『オプション』で溢れかえっており、『コスパ』、ないしリソースの『投資対効果性』のより良さが、確率論的のみならず慣習的に期待、選好されるから」ではないか。
これは、ダイエット商品や離婚が増加の一途なことからうかがった。
もう一つは、「豊かな現代は、『未熟』を自認し、眼前の『限界』を破ってまで達成したい(せねばならない)コトが欲求段階説的に高次だから」ではないか。
これは、野村さんが赤貧の学生時分に芸能人をも目指したことと、入団初年度契約更改時分に解雇通告に自殺宣言で抗ったことからうかがった。
近年、アナ雪のテーマ曲がヒットしたのは、「限界」の敵前逃亡癖のついた「未熟」な自分を、「ありのまま上等!」と開き直って肯定したい現代人の悲願かもしれない。





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2016年08月25日

【第57期王位戦第四局】木村挑戦者、格言を具現し羽生王位に勝利、2-2タイへ

[ひと言感想]
将棋の格言に「敵の打ちたい所に打て」がある。
97手目の、木村一基挑戦者の▲6七桂は、正にこの格言を地で行く好手だった。
心身切迫が沸点に達する終盤に、しかも、羽生善治王位という最強実力者を眼前に、木村挑戦者がこの手を捻出、決行し得たのは、天晴かつ学びに富む。
将棋であれゴルフであれ、「プロの戦い」というエンタメコンテンツが有意なのは、とりわけ勝利の原理原則と手がかりを、繰り返し分かり易く、個人最適的に教授してくれるからである。


★2016年8月22、23日催行
http://live.shogi.or.jp/oui/
http://kifulog.shogi.or.jp/oui/57_04/
http://live.shogi.or.jp/oui/kifu/57/oui201608220101.html
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_chikuhou/article/269355 (魚拓


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2016年08月22日

【経営】「店長の仕事 食堂業」井上恵次さん(著)

P13
2 会社の強さは店長会議で決まる

店舗内でのコミュニケーション


店長会議は、会社の現状やトップの政策に対する考え、あるいは営業部長が考えるマネジメント上やオペレーション上の重点課題を知る場といえる。

店長には、自分のみに留める話題と、部下に必ず伝えなければならない情報とがある。

店長会議での結果について、部下に伝えることで、社員のモラールは高まり、オペレーションをする人たちの作業レベルも上達するものだ。店長は、店にいる社員に対しては、必ず席を変えてその情報を流す責任を有する。

また実際の店の成果は、売上高を上げ、利益を上げることなのだから、そのための行動計画をたてることになる。

部下の作業の向上こそ、売上高を上げ、利益を生む最大の要因である。だからこそ、その店舗での具体的な方法を問題にする必要がある。

店長会議でのテーマが部下に語られることで、彼らの意欲が高まり、知識が増える。そしてそれが店の一人ひとりの具体的な行動目標になると、大きな成功を生み出すことになる。

ここで大切なのは、店長からパートに至るまでそれぞれの行動目標は異なるということである。最終の目標は同じでも、何をなすべきかはそれぞれ異なる。別のいい方をすれば、一つの目標に向かって、それぞれの職位の人間がどういう行動をとらなければならないか、店長はそれを限定的に明示しなければならない、ということである。

店全体が一つの問題に取り組むと、一挙に成果が上がると同時に、会社の弱い点がはっきりしてくる。

店長が努力しても、数字に大きな変化が見られない場合には、料理の品質やサービス方法、あるいはキッチンの設備の不備な点が鮮明になってくる。

会社として、重点課題をオペレーションラインに伝えられない場合には、仕事は論理的に進められていないことになり、前提となる作業の統一が行われていないことが多い。

店長会議は、実務に直結したものであることが第一義なのである。

そのためには、トップと店長の共通のスタンダードと経営哲学、方法論が存在していなければならない。

そして店で自分は何をするのか、部下に何を要求していくのかを明確にして、期待される成果の実現に向けて、それぞれ別の行動内容で日々の営業を行うことが重要なのだ。

店長会議でトップの語りかける内容がきちんと店長に伝わるようになると、トップが訪店したとき、店長との対話がスムーズにいくようになる。

一般的にトップが店を訪ねる機会が減ったり、トップが訪店することをおっくうに思うのはトップと店長に共通の言葉がなくなっているからである。

いま、何が重点テーマなのか、トップ自身が分からなくなっていること、さらにトップがオペレーションの仕組みを理解できなくなっていること、この二点が断絶の主たる要因である。


店長をほめることや、叱ることのできないトップは、自然と店から足が遠のいてしまうものであるが、逆に最もいけないのは、右の二つの無理解の上でトップがほめたり、けなしたりすることである。これはトップの訪店でしばしば見られる光景だ。これではオペレーションの混乱を招くだけではなく、現在のテーマもぼやけさせてしまう。結局、ほめられてもけなされても店全体のモラールは急降下する。それは、話す機会が不足していることに起因している。

店長会議で、トップの伝えたオペレーション上の重要な変更や課題に対して、店長が積極的に取り組んでいるときは、トップの訪店を店長はむしろ歓迎の気持ちで、にこやかに迎えることができる。

私が中学に入ったか入らなかったかの頃のヒット曲に、「いとしのエリー」がある。
私はサザンのファンではなかったが、この曲は当時の他のヒット曲と同様、テレビ、ラジオの別無くいつでもどこでもヘビロテされ、詞が自然と脳に刻み込まれてしまった。(笑)
とりわけ刻み込まれたのは、「言葉につまるようじゃ、恋も終わりね」の一節だ。
私は当時、実際の恋愛は耳学問だったが(笑)、この一節から「成る程、会話が無くなったら、オトコとオンナは終わりなのだ」と教えられた。

いとしのエリー
サザンオールスターズ
ビクターエンタテインメント
2005-06-25


なぜ、会話が無くなったら、オトコとオンナは終わりなのか。
この合理的な理由が、本書を読み、初めて分かった。(笑)
成る程、直接の理由は「共通言語の消失」であり、根本の理由は「夢(目標)、及び、その達成へ向けた問題と解決行動の共有不全」なのだ。
「将来どうなりたいか、そのために今何が問題か、その解決のために各々今何をすべきで、どこまでできているか」。
オトコとオンナは人生の指針と進捗を精神的のみならず論理的にもシェアしなければ、会話が雑談の域を出ず、遅かれ早かれ終わるのだ。

これは、「オトコとオンナ」や「社長と店長」だけでなく、組織、集団全体にも言えることだ。
組織人足る者、「最近メンバー間でめっきり会話が無い」と嘆くよりも、「最近夢とその課題、ならびに、アクションプランとその進捗を、メンバー間で適切にシェアしているか」、はたまた、「そもそも自分自身、夢、課題、アクションプランを今忘れては、日々置き去りにしてはいまいか」自問するのが、有効かつ吉である。



店長の仕事―食堂業
井上 恵次
柴田書店
1993-02




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2016年08月15日

【第57期王位戦第三局】羽生王位、木村挑戦者を一進一退の果て下し、初勝ち越し

[ひと言感想]
「人は、いかに腕前やテンションを上げても、有利不利の別なく間違える。大事なのはいかに間違えても、最後の最後まで心技共々諦めず、最善を試みること。その試みは、少なくとも見ている人を感動させ、また、自らに成長、ないし、劣化抑止の好機を与える」。
中盤に緩手(57手目/▲3四歩)で勝負を決め損ねた羽生善治王位と、難解な分かれの多くを間違えた木村一基挑戦者の指し様、否、生き様を見、改めてこう感じた。
間違えの認識と対処が勝負、否、人生を決める。


★2016年8月9、10日催行
http://live.shogi.or.jp/oui/
http://kifulog.shogi.or.jp/oui/57_03/
http://live.shogi.or.jp/oui/kifu/57/oui201608090101.html
http://dd.hokkaido-np.co.jp/entertainment/igo-shogi/igo-shogi/1-0303145.html (魚拓




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2016年08月10日

【洋画】「フルメタル・ジャケット/Full Metal Jacket」(1987)

〔ひと言感想〕
フエでジョーカーが死にかけたのは、女性狙撃兵の腕が凄腕だったこと以上に、彼女と対照的に、人間生来の「平和」と「生来必殺(Born To Kill)」の二重人格性を、ひいては人を殺すことへの「怯み」や「躊躇」、即ち「迷い」を、当時まだ御せていなかったからだろう。
確かに人間は生来「迷う」生き物で、だからこそ愛し、愛される。
しかし、「迷う」人間が弱いのも確かで、「迷い」の無い強者の前では死の恐怖を免れない。
人を愛し、人に愛されてこそ人間なのか。
それとも、人に肉体的だけでなく、精神的かつ社会的にも殺されず、天寿を全うしてこそ人間なのか。
少なくとも私は、終生「迷う」、弱い人間なのだろう。(苦笑)


フルメタル・ジャケット(初回限定生産) [Blu-ray]
出演:マシュー・モディーン、ヴィンセント・ドノフリオ、リー・アーメイ
監督:スタンリー・キューブリック 
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2015-12-16


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2016年08月09日

【第57期王位戦第二局】羽生王位、木村挑戦者の勢いを封じ、1-1に

[ひと言感想]
本局は、木村一基挑戦者が決断勢いで勝り、決め手に泣いた、ということなのだろう。
また、羽生善治王位が、いつも通り横綱相撲を果たした、とも。
勝利の必要条件は、「実力」もさることながら、むしろ立場、ないし、身の丈に合った「勝ち方」の会得かもしれない。


★2016年7月27、28日催行
http://live.shogi.or.jp/oui/
http://kifulog.shogi.or.jp/oui/57_02/
http://live.shogi.or.jp/oui/kifu/57/oui201607270101.html
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201607/0009331005.shtml (魚拓


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2016年08月08日

【第87期棋聖戦/第五局】羽生棋聖、永瀬挑戦者を作戦負けに陥らせ、防衛

[ひと言感想]
本局が根本的に羽生善治棋聖の作戦勝ちなのか、それとも永瀬拓矢挑戦者の作戦負けなのかは不明だが、結果的に永瀬挑戦者が作戦負けに陥ったのは確かだろう。
とはいえ、負けはしたものの永瀬挑戦者の指し回し、ないし、頑張りには感心した。
この、タイトル初獲得のかかった最終局で、過ちを公然と認め、手損覚悟で右玉に組み替えたこと。
また、不発に終わったものの、95手目に▲4五歩の勝負手を残したこと。
これがその理由だ。

私は羽生ヲタだが、今回の羽生棋聖の防衛、及び、タイトル通算獲得数の更新(95期)は、フォーム改造の真っ只中、かつ、自責に同等に従順な挑戦者との決着ゆえ、正直嬉しいというより安堵している。
強者になる、強者で居続ける、ということは、いつでも、どんな時でも、誰に対しても、自己のネガティブにポジティブになる、ポジティブであり続ける、ということなのだろう。


★2016年8月1日催行
http://live.shogi.or.jp/kisei/
http://kifulog.shogi.or.jp/kisei/87_05/
http://live.shogi.or.jp/kisei/kifu/87/kisei201608010101.html
http://www.sankei.com/life/news/160801/lif1608010036-n1.html (魚拓
http://www.sankei.com/life/news/160802/lif1608020011-n1.html (魚拓

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2016年07月27日

【邦画】「ソロモンの偽証」(2015)

[ひと言感想]
我々は、他者と生きるほか無い「社会」人だ。
そのため、意識的か無意識的かは別として、隙あらば他者を傷つけたり、偽善をはたらいている。
この癖は、そうすることで自分が少なからず救われる(気になる)からだろうが、ともあれ、我々はこの癖を断絶できない。
結果、我々は皆加害者であると同時に被害者であり、社会は事件、問題を断絶できない。
それでも我々が断絶を望むなら、責任の不問を条件に、皆で問題の真相と因果を公にし、シェアするのが有効だと、本作品は唱えているのだろう。
この唱えは成る程だが、だとすると、あるべき社会とは「互いの顔が見える」それなのかもしれない。
「顔が見えない」人(の事情と心情)を想像するには、我々は余りに力が足りない。

本作品が一番に唱えているのは、「ボルベール〈帰郷〉/Volver」と同様、「生きることは、罪を重ねることでもある」と、もっと言えば、「生きることは、罪悪感を甘受し続けることでもある」ということだろう。
たしかに、我々が一人一人が、積み重なっていく罪悪感を甘受せず、良心の呵責の救いを安直に他者へ求めれば、当の他者がいい迷惑であるばかりか、社会も収まりがつかない。
人生の要所は、贖うべき罪と甘受すべき罪の見極め、及び、その確かさの諦めかもしれない。


ソロモンの偽証 事件/裁判 コンプリートBOX 3枚組 [Blu-ray]
出演:藤野涼子、板垣瑞生、石井杏奈、清水尋也、富田望生、望月歩、黒木華、安藤玉恵、松重豊、小日向文世、夏川結衣、佐々木蔵之介
監督:成島出 
松竹
2015-08-19




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