2020年05月26日

【洋画】「Ryuichi Sakamoto:CODA」(2017)

[ひと言感想]
2000年以降の坂本龍一は「原点回帰」である。
原点回帰はキャリアを極めた者の常だが、坂本の場合、父一亀が世に出した三島由紀夫と同様、度合いが極端、かつ、多角的で、正に「揺り戻し」である。
プロフェッショナルとは、揺り戻しに堪える高次、かつ、確たる技術と知見、そして、原点の持ち主を言う。


Ryuichi Sakamoto:CODA スタンダードエディション [DVD]
出演:坂本龍一
監督:スティーヴン・ノムラ・シブル
KADOKAWA / 角川書店
2018-05-25



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2020年05月18日

【邦画】「誰も知らない」(2004)

【再見(2007年来)感想】
「人は、幸福になろうとすると、無意識かつ悪気無しに過ちを犯すものだ」。
私は初見時、アキラのこの諦観の習得と、他者を責めるコストの有効転用を決意したが、進捗はどうか。
他者を責める機会が激減したのは確かだが、それはこの諦観を習得した所以というより、歳を重ね「それどころではなくなった」所以である(感が強い)。
今思うに、アキラのこの諦観も、習得の所以というより、状況好転の兆しがいよいよ見えず「それどころではなくなった」所以かもしれない。
他者を性善説かつ肯定的に諦め、赦すのは、自身の余裕の所以である。



誰も知らない [DVD]
出演:柳楽優弥、韓英恵、YOU
監督:是枝裕和
バンダイビジュアル
2005-03-11




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2020年03月16日

【洋画】「死刑台のエレベーター/Elevator to the Gallows」(1958)

[ひと言感想]
過ちの源はとかく感情である。
感情が周到、正確、倫理を奪うからである。
人間は感情で造られ、感情で自壊する。
感情は友であり、敵である。


死刑台のエレベーター HDリマスター版 [DVD]
出演:ジャンヌ・モロー、モーリス・ロネ
監督:ルイ・マル
株式会社アネック
2017-06-21




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2020年03月13日

【洋画】「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書/The Post」(2017)

[ひと言感想]
「(新聞は)歴史の下書き(足れ)」。
キャサリン社主はこう言い、記事掲載を決心したが、そのココロ、コンセプトは「(会社も、自分も)フェア足れ」だろう。
そして、先進国の常識、かつ、日本の非常識の一つは、「アカウンタビリティ」に加えこの「フェア」だろう。
なぜ、日本は、我々日本人は、「フェア」を尊重しないのか。
なぜ、そもそも心得ないのか。
一因は、「アカウンタビリティ」と同様、島国だからだろう。
地政学的かつ言語的に隔絶して日暮らすため、主義主張の異なる他者と真に共生する必然性が乏しく、合意形成の切迫性と縁遠いからだろう。
人間の性は外部環境、挙句、切迫性に依存する。


ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書 [DVD]
出演:メリル・ストリープ、トム・ハンクス、マシュー・リス
監督:スティーブン・スピルバーグ
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2019-04-10




kimio_memo at 07:21|PermalinkComments(0) 映画 | -トム・ハンクス出演作

2020年03月04日

【洋画】「大脱獄/There Was a Crooked Man...」(1970)

[ひと言感想]
「ひねくれ者」には二種類居る。
先天的に「ひねくれている」人と、何らかの経験で後天的に「ひねくれてしまった」人である。
高確率で前者は「ぱっと見で分かる」が、後者は「一見そう見えない」ものである。
いずれも相当の「執念」の持ち主に違いないが、成る程、後者の方が、先天的でなく、より能動的かつ非楽観的な分勝るのかもしれない。
「ひねくれ者」に限らないが、「一見そう見えない」人は要注意である。


大脱獄 [DVD]
出演:カーク・ダグラス、ヘンリー・フォンダ
監督:ジョセフ・L・マンキウィッツ
復刻シネマライブラリー
2018-05-28


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2020年03月02日

【洋画】「15時17分、パリ行き/The 15:17 to Paris」(2018)

[ひと言感想]
実力は半生の総和である。
格好の試練は「出会い頭」である。
吉と出れば、上々である。
人生は半生の総和である。
半生は刹那の総和である。
人生の要件は刹那の最善である。


15時17分、パリ行き [AmazonDVDコレクション]
出演:スペンサー・ストーン、アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス
監督:クリント・イーストウッド
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2018-12-05




kimio_memo at 07:31|PermalinkComments(0) 映画 | -クリント・イーストウッド作品

2020年02月20日

【洋画】「コクーン2 遥かなる地球/Cocoon: The Return」(1988)

[ひと言感想]
「親が先に死ぬのが順序だ」とのベンの言は成る程、かつ、尤もである。
私の専門は企業経営だが、経験値を重ねてつくづく思うのは、企業だけでなく、家族も、社会も「システム」であり、肯定的に存続するには「エコシステム」の構築(と不断の改修)と運用、即ち、担保が欠かせない、ということである。
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」というが、これは個人の存在が期間限定的な軍隊や企業でのみ通用する話であり、非限定的な家族や社会では「老人が先に死ぬのが順序」である。
人間が永遠の命を欲するのは道理だが、現世が故人を要するのも道理である。


コクーン2/遙かなる地球 [DVD]
出演:ドン・アメチー、ウィルフォード・ブリムリー、コートニー・コックス
監督:ロン・ハワード
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2008-09-05

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2020年02月18日

【洋画】「コクーン/Cocoon」(1985)

[ひと言感想]
人間が愚かな理由の一つは、無くしてみて初めて「その」コト、モノ、ヒトのあり難さに気づくからである。
翻って言えば、いつでもアクセスできると「その」コト、モノ、ヒトのあり難さに気づかない、当然視してしまうからである。
あり難さは正に「有り難さ」、そして、「在り難さ」であるという訳だが、更に愚かなのは、一旦無くすと、或いは、無くしかけると過剰に「その」コト、モノ、ヒトをあり難く感じるからである。
健康、命はなぜあり難いのか。
本当にあり難いのか。
長寿の選択肢と可能性にアクセス可能な我々現代人は、平時、この自問自答を済ませる必要がある。


コクーン [DVD]
出演:ドン・アメチー、ヒューム・クローニン、ブライアン・デネヒー
監督:ロン・ハワード
20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント
2003-12-19




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2020年02月10日

【邦画】「火宅の人」(1986)

[ひと言感想]
立川談志は落語を「業の肯定」と言ったが、それを地で行ったのが桂一雄の生涯である。
「業の肯定」は「開き直り」であり、「現実逃避」である。
現実に生きる周囲には迷惑千万だが、引き受け手が居ないこともないからこの世は面白い。
なぜ彼、彼女たちは引き受けるのか。
結局、当人を憎み切れないからである。
なぜ憎み切れないのか。
自分にはない非常な無責任さ、純粋さ、人間臭さに、同じ人間として降参してしまうからである。
「業の肯定」は極めてこそ、である。


火宅の人 [DVD]
出演:緒形拳、原田美枝子、松坂慶子、いしだあゆみ
監督:深作欣二
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
2016-06-08




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2020年01月31日

【経済】「父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」ヤニス・バルファキスさん

P231
エピローグ 進む方向を見つける「思考実験」

(前略)

HALPEVAMの欠陥ーーユートピアをつくるシステムがディストピアを生む

幸せ探しは、金鉱を掘り当てるのとは違う。金は、われわれが何者かということとは関係なく存在する。われわれが金を掘る過程で何者になるのかも関係ない。輝く物質が本物の金かどうかは、実験で証明できる。でも何が本当の幸せかは証明できない。

HALPEVAM(※ユーザーの望む最高の仮想現実人生を個別提供してくれる、天才科学者コスタスがつくったコンピュータ)が与えられるのは、われわれがいまの時点で望んでいるものだけだ。
しかし、本物の幸福を味わえる可能性のある人生とは、何者かになるプロセスだ。ギリシャ人はそれをエウダイモニアと呼ぶ。「花開く」という意味だ。エウダイモニアの過程で、人の性格と思考と好みと欲望はつねに進化していく。

私は十代の後半から二十代の前半にかけての自分の写真を見て、当時執着していたことや、好きだったものや考えていたことを思い出すと、恥ずかしくて穴があったら入りたくなる。当時の好みや欲をずっとかなえ続けてくれる世界に、自分は住みたいだろうか?
とんでもない。

人の人格や欲しいものはどうして変わるのだろう?簡単に言うと衝突があるからだ自分の望みを一度に全部は叶えてくれない世界と衝突することで人格ができ、自分の中で葛藤を重ねることで「あれが欲しい。でもあれを欲しがるのは正しいことなのか?」と考える力が生まれる。われわれは制約を嫌うけれど、制約は自分の動機を自問させてくれ、それによってわれわれを解放してくれる。

つまるところ、満足と不満の両方がなければ、本物の幸福を得ることはできない。満足によって奴隷になるよりも、われわれには不満になる自由が必要なのだ。

世界と衝突し、葛藤を経験することで、人は成長する。
HALPEVAMは人間に奉仕するために開発されたとしても、結局は人間をディストピアの中に閉じ込め、人の嗜好を固定してしまい、その中の人間は成長も発展も変身もできない。

経済について書いたこの本の中で、この話にどんな意味があるのだろう?

HALPEVAMの目的はつまり、市場社会が成し遂げようとしていることなのだ。それは、欲を満たすことだ。

だが世の中には不幸が充満しているところを見ると、市場社会はうまく機能していないようだ。何が言いたいかというと、いまの経済は、人間の欲する目標を手に入れるのに適していないどころか、そもそも手の届かない目標を設定したシステムなのだ。


自由とショッピングモールーーいったい何を求めればいいのか?

アメリカ人作家のヘンリー・ディヴィッド・ソローは、「幸福になるには、それを求めないことだ」と言った。幸福は美しい蝶のようなものだ。「追えば追うほど逃げていく。しかし別のことに気を取られていると、そっと肩に止まっている」

では、死ぬほど幸福を手に入れたいのに幸福を追い求めてはいけないとすると、何を求めればいいのだろう?

君には君の答えを見つけてほしいが、君が考えているあいだに、私の個人的な考えを少しここで語ろう。

私が絶対に嫌だし恐ろしいのは、気づかないうちに誰かにあやつられ、意のままに動かされてしまうことだ。たいていの人は私と同じように感じているはずだ。『マトリックス』や『Vフォー・ヴェンデッタ』のような映画がヒットするのはそのためだ。

どちらの映画も、われわれが必要とする自己決定や自立や自由意志の問題を訴えている。奴隷の中でも洗脳されて幸せを感じているのは、最悪の愚か者だ。彼らは足かせをありがたがり、服従の喜びを主人に感謝する。

市場社会は見事な機械や莫大な富をつくりだすと同時に、信じられないほどの貧困と山ほどの借金を生み出す。それだけではない。市場社会は人間の欲望を永遠に生み出し続ける。

その最たる例がショッピングモールだ。その構造、内装、音楽など、すべてが人の心を麻痺させて、最適なスピードで店を回らせ、自発性と創造性を腐らせ、われわれの中に欲望を芽生えさせ、必要のないものや買うつもりのなかったものを買わせてしまう。そう考えると、どうしても嫌悪を感じざるを得ない。

ほかにも、人を洗脳するものはある。たとえばマスコミだ。マスコミは、大勢の人の利益や地球の利益を犠牲にするような政治判断に大衆の合意を取りつける手段になってしまっている。

そしてもうひとつ、政治信条を人々に刷り込む強力な方法がある。それが経済学だ。


イデオロギーーー信じさせる者が支配する

「支配者たちはどうやって、自分たちのいいように余剰を手に入れながら、庶民に反乱をおこさせずに、権力を維持していたのだろう?」

私はこの本の第1章でそう聞いた。私の答えは「支配者だけが国を支配する権利を持っていると、庶民に固く信じさせればいい」だった。

古代メソポタミアでも、いまの時代でも同じことが言える。すべての支配者にはその支配を正当化するようなイデオロギーが必要になる。ひとつの筋書きをつくって基本的な倫理観を刷り込み、それに反対する人は罰せられると思わせるのだ。

宗教は数世紀にわたってそんな筋書きを語り、まことしやかな迷信で支配者の力を支え、少数支配を正当化してきた。そして支配者による暴力や略奪を、神が与える自然の秩序として許してきた。

市場社会が生まれると、宗教は一歩後ろに下がることになった。産業革命を可能にした科学の出現により、神の秩序を信じることはあくまでも信仰であって、それ以上のものではないことが明らかになった。

支配者には、自分たちの正当性を裏付けてくれる新しい筋書きが必要になった。そこで彼らは、物理学者やエンジニアを真似て数学的な方法を使い、理論や公式を駆使して、市場社会が究極の自然秩序だという筋書きをつくりだした。世界一有名な経済学者のアダム・スミスはそれを「神の見えざる手」と呼んだ。このイデオロギー、つまり新しい現代の宗教こそ経済学だ。

19世紀以来、経済学者は本を書き、新聞に論説を投稿し、いまではテレビやラジオやネットに出演し、市場社会のしもべのようにその福音を説いている。一般の人が経済学者の話を聞くと、こう思うに違いない。
「経済学は複雑で退屈すぎる。専門家にまかせておいたほうがいい」

だがじつのところ、本物の専門家など存在しないち、経済のような大切なことを経済学者にまかせておいてはいけないのだ。

この本で見てきたように、経済についての決定は、世の中の些細なことから重大なことまで、すべてに影響する。経済を学者にまかせるのは、中世の人が自分の命運を神学者や教会や異端審問官にまかせていたのと同じだ。つまり、最悪のやり方なのだ。

ヤニス・バルファキスさんの主張は尤もである。
そう、不満は短期的には自我との葛藤だが、中長期的には自我の再認識、そして、人的成長の好機である。
人生に制約、不満は付き物であり、また、あって然るべきである。

幸福の要件は満足だが、満足の要件は不満である。
不満の無い現在は、なにか物足りない、或いは、なぜか不機嫌な未来の温床である。







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