2017年02月16日

【医療/コミュニケーション】「医者と患者のコミュニケーション論」里見清一さん

P150
11 「本当のこと」は取扱注意である

(前略)

真実は危ない

もちろん、ここで、「真実を告げるな、隠せ」などと言うつもりは毛頭ない。だが、真実は、真実であるからこそ、「取扱注意」なのである。

(中略)

真実に向き合う辛さ

諸君、進行癌の患者に限らず、我々だって、いつか必ず死ぬのだ。しかし諸君も、私も、それに目を背け、そのことを忘れて日々の生活を送っている。というより、そんな、暗闇の深淵を覗き込みながらの日常生活なんて、できないのである。「永遠に生きるように学べ、明日死ぬかのように生きよ」という格言は、ガンジーの言葉ともされているが、もとがラテン語なのだから、ガンジーもどこかから引用したのだろう。少なくとも前段の学ぶ態度を説く部分からすると、死ぬことを棚上げしていないと勉強もできないことになる。

だから死が迫った患者が、そのことを忘れて仕事に、生活に没頭するのは当然ではないだろうかそれは「潰れてしまわない」ための、生物の本能的な適応行動といえる。
常に死を忘れずに、かつ精神を強くもって恐怖に打ち勝て、なんて、我々は患者に要求できるはずがない。「真実に向き合え」、なんてどの口で言うか。それこそおまえ何様、ではないか。

レイソン先生が6年間診たかの患者は、先生が見舞ってから36時間足らずで、転院せず亡くなったそうだ。その前の、化学療法を受けている患者は、相変わらずほほえみながら治療を続けている。

先生はこう締めくくられている。患者には終わりが来ることが分かっている。我々も、終わりが来ることが分かっている。そしてその上で我々はみんな、生き続けていかなければならないのだ。


「暴言」を避けるためには

つまりはこういうことだ。真実は、必ずしも受け入れられないそれは、分かっていないからではなく、十分分かっているからこそ、という時もあるのだ。そこで「どうして言ってはいけないんだ。だって本当のことじゃん」と諸君が抗議しても、無意味である。ただ「空気を読め」、という叱責が返ってくるのがオチだ。

だから「真実の指摘は」暴言と紙一重なのである。何より証拠に、どこの誰かが「暴言」を吐いて批判の対象になると、必ずそれを擁護する意見が出てくる。そしてそれは決まって、「あの、これこれという暴言は、言い方は悪かったかも知れないが、言っている内容は事実である」というものである。そう、これは今までの議論の延長線上でいくと、「だったら本当な分だけ、なお悪い」という結論になるだけである。

では「本当のこと」をちゃんと言うためにはどうしたらいいのだろう。ソチオリンピックのフィギアスケートで浅田真央選手がジャンプに失敗した後、森元首相は「あの子、大事な時には必ず転ぶ」とコメントして満天下の顰蹙を買った。肩を持つわけではないが、森さんに悪気がないのは明らかである。あの人も浅田選手を応援していて、残念がって出た台詞であろう。そんなことは分かっていても、思い当たる節があるだけに(つまり、「本当のこと」であるからこそ)日本中が激昂したのである。

こういう「暴言」を避けるためにはどうしたらいいか。まず「思わずポロッと言ってしまう」閾値の低さを戒め、タイミングを見計らってコメントするようにせねばならない。練ってから発言すれば「暴言」も「率直な意見」になるのである。お前が言うなって?私のような「ただのオヤジ」と一国の元宰相が同じであっていいはずはないだろう。

もう一つは、キャラクターの問題であろう。同じことを言っても、「可愛気がある」かどうか、で印象はがらっと変わる。仮に、人気絶頂期の小泉元首相が同じことを言ったとしたら、みんな苦笑して許す、という雰囲気になったかも知れない。森さんとしては不本意で残念であろうが、世の中はそもそも不公平で不条理なものなのだ。ここは諦めてもらうしか仕方なかろう。

だから、諸君も、自分のキャラをよく把握しておく必要がある、さもなくば何を言っても、「それを言っちゃあおしまいよ」で終わり、になりかねないぞ。

「『真実の指摘』と暴言は紙一重である」との里見清一(國頭英夫)さんの指摘は尤もだが、それ以上に尤もに感じたのは、以下の旨の、我々人間が不都合な真実に凡そ否定的な根源的理由の指摘だ。

「我々人間が不都合な真実に凡そ否定的なのは、死という、自明かつ不都合の最たるな真実に否定的になることで、生き物として潰れず、日々普通に暮らす術を本能的に身に付けていることに因る」。

ポイントは「生き物として潰れないこと」だろう。
なぜなら、我々人間の行動の多くが、これで説明できるからだ。
たとえば、我々がつい食べ過ぎてしまうのは、生き物として物理的に潰れないよう、栄養を絶やさないためだ、と。
我々がついお金に引かれるのは、生き物として物理的に潰れないよう、食料入手に窮しないため、そして、生き物として社会的に潰れないよう、懐の中を絶やさないためだ、と。
我々がつい他人の意見を突っぱねてしまうのは、生き物として精神的に潰れないよう、持論を脅かされないためだ、と。
我々がつい異性にアレコレ妄想するorチョッカイ出す(笑)のは、生き物としてDNA的に潰れないよう、生殖機会を無駄にしないためだ、と。

現代人と原始人を分かつ最たるは理性の有無だが、理性と本能のどちらが人間にとって説得的か、ひいてはパワフルか、は論を待たない。
ドナルド・トランプ大統領の唱える「もう一つの真実(alternative facts)」が説得的なのは、トランプ新大統領が予想以上にパワフルなのは、彼の主張が「生き物として潰れないこと」に因るためか。







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2017年02月15日

【経営】「わがセブン秘録」鈴木敏文さん

P171
第6章 ものごとの「本質」を見抜けば仕事はうまくいく

3 人は手段が目的化すると必要以上のことをやり始める

一台8000万円のATMはなぜ、2000万円で開発できたのか

自分たちのやるべきことの本質を自覚し、目指す目的とそれを実現するための手段が明確になると、本質的に必要なことだけに集中できるようになります。

典型がセブン銀行です。自前の銀行を持とうと考えたのは、主にセブンーイレブンの店舗にATMを設置することが目的であって、銀行を設立すること自体が目的ではありませんでした。

銀行設立の本質的な意味は、お客様にとっての金融面での利便性を格段に高めることにありました。

最初は自前の銀行設立ではなく、都銀各行と一緒にATM共同運用会社を設立する案も検討しました。しかし、共同運用方式では、ATMの設置店舗の選定や利用手数料の設定で主体性をとれず、お客様に提供する利便性を自分たちでコントロールしにくいところがあります。

それでは店舗にATMを設置するという目的はある程度実現できても、本質から外れることになります。そこで共同運用方式は断念し、自前で銀行免許を取得するという方法を選択したのです。

新銀行の設立については、金融業界の常識を破るような徹底したローコスト・オペレーション を追求しました。新型のATMも最低限必要な機能を見きわめ、不必要な要素はいっさい入れず、既存のATMの四分の一のコストで開発しました。

従来のATMは出入金取引、警備、システム監視、電話の四つの機能のために四回線を確保していましたが、これを一回線で一元的に管理する画期的な方式を開発するなど徹底したコスト削減を図りました。

コンピュータの運用をアウトソーシングしたのをはじめ、ATMへの現金の搬送・補充、点検業務も警備会社に委託しました。

画期的なローコスト・オペレーションが実現できたのも、銀行設立はお客様にとってのセブンーイレブンの利便性を高めるためにあるという本質から、けっして離れることがなかったからでした。

一方本質から外れると、本来は目的を実現するための手段であったものが、いつのまにか目的化し、その結果、人間はやたらと必要以上のことをやり始めます。

もし、銀行をつくること自体が目的化していたら、まがりなりにも銀行である以上、あれもしなければいけない、これもできなければいけないと、既存の銀行のものまねを始め、きわめて高コストの体質になっていたことでしょう。

セブン銀行はその後、グループの店舗以外の商業施設や駅、空港など公共施設へのATM設置、訪日外国人旅行者のための海外発行カード対応サービス、主に在日外国人のための海外送金サービス、移動ATM車両の開発など、日本の銀行としては先進的な取り組みへと、業界に先駆けてサービスを拡大していきます。

これも、お客様にとっての利便性を高めるというセブン銀行の本質が明確であったからこその事業展開でした。

「人は、本質を見誤ると、手段を目的と勘違いし、必要以上に凝り出す」との、鈴木敏文さんの仰せは尤もだ。
東京都庁が天高くそびえ立っているのも、我々都民が役所の本質を見誤り、東京都の現預金とキャッシュフローが潤沢なのを良いことに、不要な建造(コスト)を看過したからだし、日本人の多くがメタボなのも、とりわけ我々中年男女が食事の本質を見誤り、小銭があるのを良いことに(笑)、不要なカロリーを食欲とストレスに任せて摂取しているからである。

なぜ、我々は本質を見誤り易いのか。
一つ言えるのは、本質は抽象的なのに対し、目的達成の手段は具体的だから、である。
もっと言えば、本質は直感的に理解し難いのに対し、手段は直感的に理解し易く、ひと目魅力的、脊髄反射的だから、である。

文明の進化の本質は、人間を楽にすること、である。
もっと言えば、人間から不満を奪うこと、不要化すること、ナンセンス化すること、である。
我々が本質を見誤り易いのは、メタボと同様、我慢のチカラとクセを失くした文明人の持病で、その根治はメタボ以上に(笑)、相当の目的・意識が別途必要である。



わがセブン秘録
鈴木 敏文
プレジデント社
2016-12-17




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2017年02月13日

【邦画】「卍(まんじ)」(1964)

[ひと言感想]
成る程、人間が無意識かつ根源的に欲する自由とは、誰かを菩薩と崇め依存する、「不自由になる」それと、誰かの菩薩として君臨、生を全うするそれの、二つの表裏の自由かもしれない。
「人(他者)を支配したい」、「人に支配されたい」。
人間が厄介な生き物である理由の一つは、これらの相反する二つの欲求が在り、かつ、TPOで使い分けてしまうことかもしれない。


卍(まんじ) [DVD]
出演:岸田今日子、若尾文子、川津祐介、船越英二
脚本:新藤兼人
監督:増村保造 
角川書店
2012-10-26


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2017年02月01日

【邦画】「SOUL RED 松田優作」(2009)

[ひと言感想]
「オマエはオレとはタイプが全然違うけど、オレに成れるから」。
香川照之さんは松田優作に生前、直接こう言われたそうだが、ファンも画面越しにこう言われた覚えがあるのではないか。
そして、ファンの多くは没後30年の今も、遺作越しにこう言われている覚えがあり、だから優作を畏敬、思慕し続けるのではないか。
というか、少なくとも私はそうで、日課の起床後の小運動は今年で36年目を迎える。(笑)
永遠のヒーローとは、「成りたい自分」の象徴であると同時に、その太鼓判を無条件に叩き続けてくれる心の拠り所かもしれない。


SOUL RED 松田優作 [DVD]
出演:香川照之、浅野忠信、仲村トオル、アンディ・ガルシア、松田龍平、松田翔太、宮藤官九郎、丸山昇一、森田芳光
監督:御法川修 
角川映画
2010-07-09




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2017年01月26日

【邦画】「奇跡のリンゴ」(2013)

[ひと言感想]
農薬を使わないリンゴの栽培法は、是非や善悪はさておき、使うことが前提の既存の栽培法に真っ向異を唱える点で、かつての地動説に通じるイノベーションなのだろう。
「ここで自分が諦めることは、人類が諦めること」。
成る程、正に首をくくる寸前まで行った木村秋則さんをイノベーションのゴールへ後押しし続けたのは、一番は悪意のない、天然かつ門外漢ならではの不遜なのだろう。
イノベーションの女神がゴールで微笑むのは、一番の親友に見放されようとしている最中、こう断言できる人だけなのだろう。


奇跡のリンゴ DVD(2枚組)
出演:阿部サダヲ、菅野美穂、山崎努
監督:中村義洋 
東宝
2013-12-20


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2017年01月23日

【洋画】「39歳からの女性がモテる理由/Flirting with Forty」(2008)

[ひと言感想]
結局、モテる、モテない、物事がうまくいく、いかない、というのは、予め自分で自分に「所詮無理だ」と言い聞かしている、いない、言い訳している、いない、で少なからず決まるのだろう。
長くて短い人生において「自分探し」は不毛だが、「できない理由探し」も、同等かそれ以上に不毛に違いない。


39歳からの女性がモテる理由 [DVD]
出演:ヘザー・ロックリア、ロバート・バックリー、ヴァネッサ・ウィリアムズ
監督:ミカエル・サロモン 
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2010-05-26




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2017年01月20日

【邦画】「映画 ビリギャル」(2015)

[ひと言感想]
やはり、人生に必要なのは、勇気と想像力、そして、少しのお金に加え(笑)師である
また、良き師は、インセンティブの個人最適化に長け、伴走のスタンスを崩さない先人である。
良き師の伴走は、後進の一生の財産と自信、そして、思い出である。


映画 ビリギャル DVD スタンダード・エディション
出演:有村架純、伊藤淳史、吉田羊、田中哲司
監督:土井裕泰 
東宝
2015-11-18




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2017年01月18日

【洋画】「ジュノ/Juno」(2007)

[ひと言感想]
ジュノの周りは悉くよい人だったが、彼らに共通していたのは正否や善悪を「決めつけない」こと。
自分が決めつけないから、他者にも決めつけられず、よく愛してもらえたのだろう。
「味方が居ない」とこぼすのは、自分が頭を使わず、決めつけに呪縛されていると吹聴するに等しい。


JUNO/ジュノ (特別編) [DVD]
出演:エレン・ペイジ、マイケル・セラ、J・K・シモンズ
監督:ジェイソン・ライトマン 
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2012-12-19




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2017年01月16日

【洋画】「メグ・ライアンの男と女の取扱説明書/Serious Moonlight」(2009)

[ひと言感想]
夏目漱石は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したという。
その人が好きだから月夜をシリアスに共にするのか、月夜をシリアスに共にするからその人が好きになるのか。
答えは夏目に訊きたいところだが(笑)、結局人は、誰かを好きな自分が一番好きで、それを第三者かつ不本意に否定、断絶されたくないのだろう。
それも、とりわけ女子は男子より。(笑)


メグ・ライアンの男と女の取扱説明書 [DVD]
出演:メグ・ライアン、ティモシー・ハットン
監督:シェリル・ハインズ 
AMGエンタテインメント
2010-04-23




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2017年01月13日

【邦画】「白ゆき姫殺人事件」(2014)

[ひと言感想]
人の性(さが)の一つは、他人事、自分事の別なく(※他人事の方が多い嫌いがあるが)目先の問題に惹かれ、自分の理解と納得の限りで白黒や方(かた)を付けてしまうこと。
たしかに、現代人の脊髄反射はSNSに促されているが、元凶はこの性だろう。
「世の中には自分の理解と納得を超えるヒト、モノ、コトが在り、全てを簡単迅速に白黒、方付けるのは、土台無理かつナンセンスなばかりか、自他共々危険である」。
現代は脊髄反射の試練であり、我々は本事項を絶えず留意する必要がある。


白ゆき姫殺人事件 [DVD]
出演:井上真央、菜々緒、蓮佛美沙子、生瀬勝久、綾野剛、貫地谷しほり
監督:中村義洋 
松竹
2014-09-03




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