2019年10月04日

【人生訓】「友情 平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」」平尾誠二さん

P167
第3章
平尾誠二×山中伸弥「僕らはこんなことを語り合ってきた」
テーマ3 人を叱る時の四つの心得

チームワークは「助け合い」じゃない

山中
ラグビーはチームプレーを考える必要がありますね。それがきちっとできるチームが強くなっていく。

平尾
そうですね。

山中
僕は中学時代から八年間柔道をやって、ラグビーをやったのは大学時代のわずか三年間。そのあとはトライアスロンやマラソン、趣味でちょっとゴルフをしたりと個人競技ばかりだから、「自分さえ頑張れば」っていう気持ちがあるんです。

平尾
僕の勝手な考えですけど、ラグビーはチーム競技か個人競技かっていった時に、実は個人競技の部分が圧倒的に多いと思うんです。
たとえば、チームワークという言葉の概念を日本人に訊くと、だいたいの人は「助け合い」ときれいに回答しはるんですね。どっちかというと美しく語る。でも、チームワークというのは、実はもっと凄まじいものやと思うんです、。いちばん素晴らしいチームワークは、個人が責任を果たすこと。それに尽きるんですよ。

山中
なるほど。

平尾
そういう意識がないと、本当の意味でのいいチームはできない。もっと言うと助けられている奴がいるようじゃチームは勝てないんです

山中
それはそうですね。

平尾
助けられている奴がいるってことは助けている奴がいるわけです。その選手は、もっと自分のことに専念できたら、さらにいい仕事ができるんです。
強い時のチームっていうのは、助けたり助けられたりしている奴は一人もいない。どの選手も、プロフェッショナルとしての意識が非常に高くて、本当に貪欲に挑み続けて、できなかったらそのことに対して最大限の努力をしていく。それが、一人一人の選手が持たなきゃいけないチームワークとしての姿勢だと思うんです。

山中
なるほど。

平尾
それがなくなってきた時に、チームとしては弱体化しはじめるんです。甘えはよくない。プロフェッショナルな気持ちを持つことが大事。だから強いチームって、意外に一人一人が仲いいことはないんですよ。日常的には一人一人が自分のペースをしっかり持っていて、普段はそんなにベタベタ仲良くしてないんだけれども、いざという時には、ある目的に関してプロフェッショナルな仕事をするという意味でね。

山中
僕はそういうレベルに到達する前にラグビーやめちゃったんですけど。
神戸大学医学部ラグビー部にはなくて神戸製鋼ラグビー部にあるのは、一人一人がトライするためにいちばん確率が高いプレーは何なのかを、自分で判断していることだと思うんです。自分がこのままボールを持って突っ走るほうがトライの確率が高いか、そこで仲間にパスを出すほうが確率が高いか、そういうことを判断できる人が神戸製鋼には十五名集まっている。

平尾
その通りですね。

山中
僕はその確率を考えず、目の前にボールがあったら死んでも放さない、俺がトライするんやということから脱却しないままにラグビーをやめたので、本当の意味でのラグビーをしていなかった。トライしたのに、バックスの人によく怒られましたよ。
僕からすれば、いちばんゴール近くにいるのはモールでガーッとやっている自分だから、パスを送ってぽろっと落とされるくらいなら、このまま自分がトライに行くほうが確率が高いと思うわけです。だから僕らのチーム、フォワードとバックスがよく言い合いをしていました。

平尾
あまりバックスの連中を信用しなかったんですね

山中
パスしたら落とすんですもの。プレーしてない時には、他の人がトライに行くほうが確率が高そうな時はボールを渡すべきだと思うんですが、いざボールを持ったら放さない。僕のラグビー、それで終わってしまって。すいません、レベルが低くて。

平尾
いやいや、ぜんぜん。そういうプレイヤーもいないと突破できないっていうのは、確かにあるんですよ。チームのバランスもあるよね。皆が球を回してばっかりでもいかんし、どんな状況でも瞬時に判断して一歩でも前に出てやるっていう奴が一人が二人か三人いないと、チームのバランスはよくないと思いますね。

「強いチームの要件は『チームワーク』による勝率の最大化であり、『チームワーク』の要件はメンバー個人の最善努力と信頼担保である。『助けられている奴』は『助けている奴」を必要とし勝利を妨げる『チームワーク』の本質は自己責任の完遂であり、『助け合い』はその挙句(の表層的事象)に過ぎない」。
平尾誠二さんのチームワーク論は尤もだが、なぜ「チームワーク」は「助け合い」と凡そ誤解、周知されているのか。
近因は、「スクールウォーズ」もとい(笑)、日本人が本意、不本意を別に「ソトヅラが良く」、「キレイゴトの好きな」人種であることなのだろうが、根因は、土居健郎さんが説いた我々の過剰な「甘え(受身的対象愛)」ではないか。
「甘え」は禁断の果実である。




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2019年09月25日

【経営】「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。」宮本茂さん

P177
第六章 岩田さんを語る。

宮本茂が語る岩田(聡)さん

(前略)

新しいことに名前をつけた

岩田さんが任天堂の社長になってからはじめたいいことはたくさんあるんですけどそのひとつが、いろんな新しい制度や仕組みをつくって、それに「名前をつけた」こと

たとえば、新しいハードをつくるときは、部署を横断するようなチームをつくるんですけど、岩田さんはそれに「車座」という呼び名をつけたんですね。その名前があることで、いろんな部署の人が集まって話すということが、みんなに肯定的にとらえられる。きっちりとした組織図はないけど場があることはわかりますし、たとえば人事部の人がそこに絡んでもいい、ということが伝わる。名前をつけることで、役割をみんなに自然とわからせる。

そういうことって、もともとは岩田さんが尊敬していた糸井重里さんが得意にしていることで、たぶん、岩田さんはそれを応用していたんだと思います。ぼくもそれはいいなって思って、いまでもちいさな集まりや定例会議に名前をつけたりしてますよ。いい名前をつけると、会議や組織が放っておいても動くようになるんですよね。

なにかを決めたりはじめたりするときに、ひとりで全部を動かすんじゃなくて、集まりや仕組みに客観的な名前を与えて組織のなかにそれをはめていく。そういうことが岩田さんはすごくうまかったですね。

組織のことだけでなく、商品の名前をつけるときも、岩田さんはすごく考える人で、たとえばWiiを出したときは、コントローラーを「Wiiリモコン」と呼ぶことにすごく意味を感じていた。これまでゲームを触ったことがない人のために、正式名称として「リモコン」ということばをつかうべきだって、ずっと言ってたんですね。同じように、はじめての人にもわかりやすいように、Wiiのソフトには『Wii Sports』『Wii Fit』のように「Wii」という文字をタイトルに入れようと言ってたのも岩田さんです。一方で、「3DS」ではそれはやらない、とかね。

名前をつけるにしても、だいたいの法則でざーっと決めるのではなく、ひとつひとつ、その名前はどうあるべきかというのを考える人でした。

岩田さんは、物事をまとめたり、整理したりする能力がずば抜けているんですよね。正確だし、速い。名前をつけるときも、ネーミングのセンスというよりは、こうであったほうがわかりやすい、伝わりやすい、ということをいつも意識していたと思います。

あと、読解力も優れていて、人のプログラムを読むのが速いんですね。自分でプログラムする力も当然あるんですけど、人のプログラムを読んで理解することに長けている。だから、直したり書き換えたりということがすぐにできる。それはたぶん、推理する力があるというか、プログラムをこう書いたのはこうしたかったんだろう、というようなことを理解するのが楽しかったんじゃないかなと思うんです。勉強熱心というよりも、そのこと自体が好き、という感じ。

(後略)


本と会議とサービス精神。

岩田さんが任天堂の社長になってからHAL研究所にいたときと大きく変わったのは、ビジネスに関する本を読むようになったことです時間のないなかでたくさんの本を読んで、いい本があるとみんなに薦めるんです。ぼくはあんまり本を読むタイプじゃないんですけど、それでも岩田さんが強く薦める本は読むようにしてました。

岩田さんの読み方というのは、本のなかにヒントを求めるのではなくて、ふだん考えていることの裏付けを得たり、自分の考えを本を通して人に伝えたりするために役立てているような感じでした。任天堂がやっていることはなんなのかと、いま会社がどういう状況に置かれているのかということをつねに考えていて、本のなかに自分が考えていたのと同じことが書いてあると自分の確信がより強くなる。その本を社員に薦めて読んでもらえれば、自分の考えも説明できて、社内の意思統一も図れる。そういうふうに本を役立てていました。
本を何冊も買って近くの人に配ることもあったし、社員全員に推薦図書を伝えることもありました。

薦められた本のなかでぼくが印象深く憶えているのは、行動経済学にまつわる本ですね。岩田さんに教えてもらうまでぼくはそういう分野があることさえ知らなかったんですけど、読んでみると「なるほど、ぼくらがやっているのはこういうことか」って、すごく納得がいくんです。岩田さんもかなり傾倒していたようで、あっという間にたくさんの本を読んで理解を深めていました。で、会うと、「任天堂がやっているのはこういうことなんです」とか、「宮本さんの考え方はこれに近いです」とか言って、すごくわかりやすく説明してくれる。もう、そういう本が自分で書けるんじゃないかと思うくらいでしたね(笑)。

本のほかに、岩田さんが社長として大事にしていたのが会議でした。「ファシリテーター」っていう役割の大切さも岩田さんがいち早く社内に浸透させた。

ファシリテーターって、ようするに会議を健全に運営する人で、その場にクリエイティブが足りなかったらクリエイティブを足すし、クリエイティブがたくさんあり過ぎたらまとめるほうに回る。つまり、それぞれに会議のプロデューサーなんですね。「その会議で答えを出そうとほんとうに思っている人(ファシリテーター)」がいることがどんな会議にとっても大事なんだということを、社内に説いて回ってました。ときには、「あなたがこのチームのファシリテーターになりなさい」ってピンポイントな指名をしたり、おもしろいもので、そうやってちゃんと指名されると、意識って芽生えていくんですよね。

そういうふうにして岩田さんが社内に浸透させたものはいまもたくさん会社のなかに活きてます。とにかく岩田さんは自分が紹介したもので会社がうまく回るようになることがすごく好きだったんです。それは社長の仕事というよりも、ある種のサービスに近かったかもしれない。「おかげで捗るようになりました」とか言われるのが大好きだったんです。


「見える化」と全員面談

また岩田さんは、社長の自分や会社の取締役たちがこんなふうに考えていろんなことを決めているんだということを、積極的に社員に知らせるようにしていました。「見える化」というキーワードをよくつかっていて、任天堂の経営も「見える化」しようとしていたんです。

それは、議事録を流したり重要な会議を公開するというようなことだけではなくて、社員が興味を持つようなイベントを企画したり、共感できる社外のゲストを呼んで社員の前で対談しいたり、さまざまな情報の共有自体を各自がたのしめるようにいろいろと工夫していました。

たとえば、ある取締役会のときに、並べている机と椅子の一角をどかして大きなテレビを設置するんですね。そこでふだんゲームを遊ばないような工場長とかに新しいスポーツゲームを体験してもらう。そうするとすぐにおもしろさが伝わって、工場長ももう汗びっしょりになって、「ああ、これはたくさんつくらなあかんわ」みたいなことになる。そういうふうに、いろんなことをおもしろく共有する仕組みをつくることに気を配っていましたね。

その意味では岩田さんが大事にしていたのは、一対一の面談ですね。

面談はHAL研究所にいたときからやっていましたから、岩田さんのなかでとても優先順位の高いことだったと思うんですけど、社長に就任したときは、企画開発部の社員全員と面談をやりました。たぶん、200人以上いたと思いますけど。

それは面談というシステムを社内のルールにしたわけではなくて、あくまで岩田さん個人の運営方針としてやっていた感じでした。これまでに話してきたほかのこともそうですけど、やったり、岩田さんは「そういうことが好きでやっている」んですね。だから、みんな納得がいくし、やらされているというような意識がない。そういうことを通じて各自が自分で考えるようになるというのが、岩田さんの目指していたことだったんだろうと思います。

岩田さんが怒ることですか(笑)?なかったですねぇ。少なくとも声を荒げるようなことはなかったです。もちろん、厳しさはありますけれどね。

たとえばなにかのトラブルがあってお客様をお待たせしてしまっているようなときに、そのトラブルが起こったこと自体についてよりも「いま、お客様に説明ができていない」ということについて厳しかった。

これはぼくと岩田さんに共通することなんですけど、本質的にはなにも解決していないのに自分だけは「そつなくやってます」みたいなことに対して腹が立つんですね。社内とか自分の周囲に関してはそつなくやってるんだけど、当事者にとっては解決してなかったり逆に不安を与えていたりする。「社内外の調整をやってからじゃないとなにも言えません」みたいなことでお客様をお待たせしていうようなときに岩田さんは怒ってたし、ぼくも、それは怒りますよ(笑)。

今や真夏、ネクタイ着用のサラリーマンはめっきり減ったが、それは「クールビズ」という「施策」以上に、周知、オーソライズ容易にネーミング(言語集約)されていること、即ち、その「呼び名」、「名前」のお陰である。
つまり、「クールビズ」の一言が、サラリーマン諸氏の社内外は勿論、家族、友人、近隣住民(笑)にも「説明ができ」、かつ、「支持され」ているから、という訳である。
このように本来の意味での「アカウンタビリティ(accountability)」を担保すべく、わかり易い「名前」をつけ、「お墨付き」を与えるのは、新しい思考、行動を社会的に奨励する有効解であり、常套手段でもある。

本書を読了するに、岩田さんは「アカウンタビリティ」の人である。
そして、「『説明ができていない』、『伝わらない』思考、行動は、他者(社会)の支持が得られないのは勿論、有害である」との信念、自戒のもと、新設した制度や仕組みにわかり易い「名前」をつけ自説の別表現書籍を社員に薦め経営を「見える化」し企画開発部員全員と「一対一の面談」をしたに違いない。
今尚、岩田さんが社内外で思慕されるのは「アカウンタビリティ」の人だったからである。



岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。
ほぼ日刊イトイ新聞
株式会社ほぼ日
2019-07-30




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2019年09月20日

【政治/経済】「ブロックチェーン、AIで先を行くエストニアで見つけた つまらなくない未来」小島健志さん

P270
第4章 AI時代でも活躍できる子を育むためにエストニアは何をしているのか?
ーー教育をデジタル化する。

エストニア初のデジタルロイヤーが語る「弁護士は今後どう変わるのか」

「英国で私たちの事業の認可が下りたのよ」

紙の許可証を手にくんくんと匂いをかぐそぶりを見せるカイディ(・ルーサレップCEO)。電子化された世界で生きる彼女たちにとって、インクの匂いはむしろ珍しい。金融の本場である英国の規制を乗りこえたことで、また一段と彼女たちのサービスの規模は広がるだろう。

(カイディの経営する)ファンダービームは、2013年に設立、証券取引所のあり方を根本から変えるスタートアップだ。これまでは、一部の投資家やベンチャーキャピタルから相対取引で出資を得るか、株式公開をして証券取引所を介して不特定多数の人から資金を得るかといったように、資金調達の選択肢は限られていた。

そこに、ファンダービームがブロックチェーン技術の仕組みを導入し、クラウドファンディング型で資金を集め、そして株式のように流動化できるようにした。つまり、スタートアップの資金調達をより多様化したのである。

だが、そんな証券市場の既存の枠組みを壊そうとしているカイディ自身が、実は体制側の人物だった。

カイディは、ファンダービーム創業前に、エストニアの電子政府を支えた法律家として活躍していた。エストニアとして初めてデジタル分野専門の法律家として、2000年には「電子署名法」を書いている。

これは、第1章でも述べたように、エストニアのビジネスを紙から電子へと大きく変えた法律である。しかも彼女はその後、証券取引所ナスダック・タリンの代表も務めた。つまり、国の法整備に携わり、そして証券取引所そのものを運営してきたのだ。

そんな彼女が法律家として生きていくのではなく、起業家として新しい証券取引所のモデルを考え、その道を切り拓いている。

エストニアでは、電子化によって法律家に何がもたらされたのか。カイディの答えは明快だ。

「私たちがよりスマートになるように、背中を押して(プッシュして)くれたのよ」

エストニアでは、訴訟の手続きも電子化が進み、書面作成の作業は効率化が進んでいる。今後訴訟用の書面を「書く」という仕事も、ほとんどテンプレート化されていくだろうし、基本的な相談内容はAIが答えていくだろう。なぜならば、法律は定型化されているからだ。

これまで機械化といえば 人手のかかる工場や店舗などのいわゆるブルーカラー領域だと見られていた。だがAI・ロボット化は、ホワイトカラー領域にもそれが及ぶことを意味する。ブルーカラーかホワイトカラーかが問題ではなく、作業が定型化されているかどうかで考えるべきであるからだ。


従って、会計士や弁護士といった士(サムライ)業だけでなく、「高級職のルーティン作業」と言われていた仕事も、容赦なくAI・ロボット化の対象になる。

たとえば、新聞記者の仕事の1つである「短信を書く」作業がそうだ。資料を読み短い記事を書く仕事は、定型化されているため、AIの入り込む余地がある。すでに決算短信記事はAI化されはじめていいる。会見の書き起こしやプレスリリースの短信記事なども、間もなく人がやる仕事ではなくなるだろう。

経理や事務、人事、営業であっても、定型化・ルーティン化した仕事であれば、いつの間にかその仕事はなくなるに違いない。

そんな中、カイディのような人たちは、われわれよりも先の時代を生き、ライフシフトを果たしたのだ。「AIやロボットに雇用を奪われる」と悲観的な未来を描く前に、より人間にしかできないことは何かを考え、知識をアップデートし、時間と場所の制約を超えて、新しいキャリアを開拓することだ。

第3章で登場したアグレロのハンド(・ランドCEO)もそうだ。単なる弁護士業務や法律業務は、難解ながらも定型化された仕事の多くで成り立っていたことに気づいた。それを自動化していくことは、コードを書ける彼らからしたら、むしろ当然の流れで、その上で自身のキャリアを決めたのである。

『AIに仕事を奪われる』か否かの分水嶺は、従事職がブルーカラーかホワイトカラーかではなく、遂行作業が定型化、ルーティン化されているか否か」との小島健志さんの指摘は尤もだが、そもそも我々人間はなぜ、作業を定型化、ルーティン化したがるのだろう。
やはり、根因は「『リソース消費最小化』の性癖」だろう。
「頭を使うこと」はとりわけ心身のリソース消費が多く、「生存」確率を担保するには、消費を最小化するのが有効である。
しかして、生き物として性癖的に、遂行すべき作業を極力「頭を使わなくて済むよう」定型化、挙句、ルーティン化するのだろう。
人間はとかく「楽をしたがる」生き物だが、それには相応の、否、命懸けの、訳がある。

ただ、この「生存」確率を担保する性癖が、AIの台頭により、かえって「仕事」という「生存の糧」を、挙句、「生存」確率を危うくするのだから、文明の進化は皮肉である。
プロの将棋は、序盤から中盤の初め迄が定型化された「定跡型」と、定型化されていない、羽生善治の言う「未舗装の、羅針盤の効かない『獣道』」が終始する「力戦型」に大別され、今トッププロの間で主流なのは後者である。
なぜか。
後者は、一手の悪手が即「命取り」、「敗戦」に直結するため、「神経戦」必至、かつ、棋士としての根源的な棋力、実力を要求するからである。
AIが我々に要求しているのは、「生存の糧」以上の仕事における「『獣道』当然視の性癖」、そして、人間としての実力の向上である。







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2019年08月26日

【洋画】「日の名残り/The Remains of the Day」(1993)

「ひと言感想」
ケントンが好例なように、情は後悔の時限爆弾である。
ではなぜ、ジェームズは無情に徹するも、後悔と無縁でいられなかったのか。
結局、人は皆、生まれ出る時代、社会の「駒」に甘んじるほかないからだろう。
後悔は、最小化は可能だが、絶縁は無理である。
不治の先天病である。


日の名残り コレクターズ・エディション [AmazonDVDコレクション]
出演:アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン、ヒュー・グラント、ジェームズ・フォックス
監督:ジェームズ・アイヴォリー
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2015-12-25




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2019年07月24日

【邦画】「万引き家族/Shoplifters」(2018)

[ひと言感想]
彼らが本物の家族以上に家族だったのは、互いを「食い物」にし、かつ、承知していたからだろう。
「ともあれ、自分を拾ってくれて、迎え入れてくれて、あり難い」と。
家族の大敵は「後ろめたさ」の否定、綺麗事である。


万引き家族 通常版DVD(特典なし) [DVD]
出演:リリー・フランキー、安藤サクラ、城桧吏、佐々木みゆ、松岡茉優、柄本明、樹木希林
監督:是枝裕和
ポニーキャニオン
2019-04-03


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2019年07月19日

【洋画】「ヘッドライト/Des Gens Sans Importance」(1956)

[ひと言感想]
原題の直訳は「しがない人々」だという。
「しがない人」はなぜ、しがないのか。
「出会い頭」と「捌け口」が人生の過半だからである。
彼らはなぜ、「出会い頭」と「捌け口」に人生を投じるのか。
リソースが全面的かつ持続的に欠乏し、八方塞がりの精神状態だから、挙句、それらに「救い」を求めるほか着想し得ないから、である。
「しがない人」に必要なのは刹那の「救い」ではなく、「絶望しないこと」である。
彼らがしがないのは、ある意味社会や運命の悪戯ではあるが、稀少なリソースを回収可能な希望に賭けなかった意味で自業自得である。


ヘッドライト HDリマスター版 ジャン・ギャバン/フランソワーズ・アルヌール [DVD]
出演:ジャン・ギャバン、フランソワーズ・アルヌール
監督:アンリ・ヴェルヌイユ
株式会社アネック
2016-07-21




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2019年07月11日

【邦画】「怒り」(2016)

[ひと言感想]
怒りの根本は無力感である。
不条理に対峙するも、経験や実力が乏しく、有効解を下せない。
だから、怒るのである。
概して、年寄りが怒らなくなるのは、良くも悪くも悟り、そもそも不条理に鈍感だからである。
他方、若者が怒りがちなのは、不条理に敏感で、有効解を下せない自他を許せないからである。
怒りを忘れた人間に未来はないが、怒りの矛先を他にばかり向ける人間にも未来はない。
経験や実力は、欠乏を嘆くもの、開き直るものではなく、向上を自ら信じるもの、課すものである。


怒り DVD 通常版
出演:渡辺謙、森山未來、佐久本宝、宮崎あおい
監督:李相日
東宝
2017-04-12




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2019年05月15日

【邦画】「カメラを止めるな!」(2017)

[ひと言感想]
「止めない」から「ソコソコ」でない、良質の成果物を生むのか、良質に執着するから「止めない」、「止められない」のか、は不明だが、何事も止めたらジ・エンドである。
環境であれ哲学であれ、「止めない」、「止められない」理由に不自由しないクリエーター、イノベーターは幸運である。


カメラを止めるな! [DVD]
出演:濱津隆之、真魚、しゅはまはるみ、大沢真一郎、どんぐり
監督:上田慎一郎
バップ
2018-12-05




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2019年04月03日

【医療/哲学】「〈死〉の臨床学」村上陽一郎さん

P138
第四章 死の援助
ナチズムにおける安楽死

確かにナチズムのなかで展開される人間抹殺の様態は、通常の神経が耐えられないような場面を生み出している。ユダヤ民族の抹殺計画はもとより、精神障碍者が子孫を残せないようにする強制断種法、あるいは重度の身体・精神障碍者の安楽死政策などなど、どれ一つをとっても、国家を代表する政策実行者が政策として立案し、実行したという一事は、人類史上の汚点とも見なさるべきものであろう。

しかし、ヒトラーと安楽死政策の結びつきは、少なくともその初めにおいて、決してモンスター性(常軌を逸した非人間性)を持っていたわけではない。むしろ、その出発点では、重度の障碍に苦しむ愛児を安楽死させたいと願う両親の、必死の嘆願の書簡を受け取ったヒトラーが、その両親の苦哀を慮って、言わば「慈悲」あるいは「愛」の動機から、安楽死の合法化に舵を切ったと言われている。

そうであるがゆえに、私たちの判断は揺れ動くのでもある。出発点はむしろ慈悲であり、愛であり、良き人間性の動機付けの下で行われることも、法的な整備が行われ、合法化の名の下で、社会のなかで、事が日常化したときに、時にそれは筆舌に尽くし難いほどの「非人間性」を導くことがある、という見事な先例を、ナチズムが作ったからである。その意味でも、ナチズムは、人類史上犯すべからざる罪を残したといえるだろう。

「法律に代表される社会的な規則、仕組みは、起案者個人の『愛』という『人間性』、そして、それを肯定、希求する『想念』によって創発されるものの、合理的に具現化、日常利用されるにつれ、真逆の『非人間性』を間々創造する」。
村上陽一郎さんの洞察は尤もだが、個人の肯定的な人間性や想いは、なぜシステム化され得ないのか。
近因は、プログラマーが凡そ起案者本人でなく、「伝言ゲーム」を免れないからだろう。
根因は、システムが「抽象化」ゆえ、こぼれ落ちてしまうからだろう。

近年、「丁寧な説明」との文言をよく見聞きする。
無論、それに越したことはないが、「丁寧」の要件は「抽象化」である。
複雑極まる現代社会を生き抜くには、システムを読み解く力、癖が必要である。








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2019年03月20日

【邦画】「翔んで埼玉」(2019)

[ひと言感想]
なぜ、差別は無くならないのか。
高コスパの、自己肯定手段だからである。
無根拠の優越感は、賞味期限が短いからである。
差別は怠惰の八つ当たりである。




http://www.tondesaitama.com/



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